misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
叱(しか)られる兄さん
金子みすゞ兄さんが叱られるので、
さっきから私(わたし)はここで、
袖無(そでなし)の紅(あか)い小紐(こひも)を、
結んだり、といたりしてる。
それだのに、裏(うら)の原では、
さっきから城取(しろと)りしてる、
ときどきは鳶(とび)もないてる。
月と泥棒(どろぼう)
金子みすゞ十三人の泥棒が、
北の山から降(お)りて来た。
町を荒(あ)らしてやろうとて、
黒い行列つゥくった。
たった一人のお月さま、
東の山からあァがった。
町を飾(かざ)ってやろうとて、
銀のヴェールを投げかけた。
黒い行列ァ銀になる、
銀の行列ァぞろぞろと、
銀のまちなかゆきぬける。
十三人の泥棒は、
お山のみちも忘(わす)れたし、
泥棒(どろぼ)のみちも忘れたし、
南のはてで、気がつけば、
山はしらじら、どこやらで、
コケッコの、バカッコと鶏(とり)がなく。
ちひろのコメント
愉快ですね。お月さまが全てを銀に染めたので、泥棒さえも銀になって、景色と混じって泥棒たちはそのまま町を通り抜ける・・・。泥棒の道も忘れるというのがまたいいですね、金子みすゞさんの正義感が垣間見えます。「バカッコ」という表現もまた、痛快です。かりゅうど
金子みすゞぼくは小さなかりゅうどだ、
ぼくは鉄砲(てっぽ)の名人だ。
鉄砲(てっぽ)は小さな杉鉄砲(すぎでっぽう)、
弾丸(たま)は枝(えだ)ごと提(さ)げている。
ぼくはやさしいかりゅうどだ、
ほかのかりゅうど行くさきに、
すばやくぬけて、鳥たちに、
みどりの弾丸(たま)を射(う)ってやる。
みどりの弾丸(たま)は痛(いた)かない、
鳥はびっくり、飛(と)ぶばかり。
鳥はそのときゃ、怒(おこ)るだろ、
でも、でも、ぼくはうれしいよ。
ぼくはちいさなかりゅうどだ、
ぼくは鉄砲(てっぽ)の名人だ。
みどりの鉄砲(てっぽう)、肩(かた)にかけ、
山みち、小みちをすたこらさ。
ちひろのコメント
鳥が狙われる前に逃がす優しい狩人。鳥はびっくりさせられて怒っても、鳥にとって命が救われることだからと、鳥が自分の助けたことを知らなくても、それで嬉しいよ、というこの狩人の気持ち。ついつい私たちは自分の優しさを相手に知ってもらいたいと思ってしまいます。「すたこらさ」の清々しさ。この詩から、本当の優しい姿を学びますね。夜の雪
金子みすゞぼたん雪、こ雪、
雪ふる街(まち)を、
盲人(めくら)がひとり、
子供がひとり。
明るい窓(まど)で
ピアノはうたう。
盲人(めくら)はきくよ、
杖(つえ)をとめて。
牡丹(ぼたん)雪はかかる、
その手のうえに。
子供はみるよ、
明るい窓を。
牡丹雪はかざる、
おかっぱの髪(かみ)を。
ピアノはうたう、
こころをこめて、
ふたりのために、
春の日の唄(うた)を。
牡丹雪、こ雪、
ひらひら舞(ま)うよ、
二人のうえに
あたたかく、うつくしく。
ちひろのコメント
現在では使われてない表現の言葉がありますが、作品を尊重しそのまま掲載しています。とても心温かな詩です。この二人の歩く姿、ピアノの音色に耳を傾ける姿、目に浮かぶようですね、私たちそれぞれの心にある優しさが、雪とともに舞っています。しもやけ
金子みすゞしもやけの
すこうしかゆい小春日(こはるび)に、
お背戸(せど)の山茶花(さざんか)咲(さ)きました。
その花折って髪(かみ)にさし、
そしてしもやけ見ていたら、
ふっと、私(わたし)がお噺(はなし)の、
継娘(ままこ)のようにおもわれて、
浅黄(あさぎ)に澄(す)んだお空さえ、
なにかさみしくなりました。
ちひろのコメント
自分だけの静かな時の流れです。しもやけが出来ている指を見ていると、自分があるお噺の中の可哀そうな主人公に思えてきたんですね。みすゞさんの詩は色の描写がとても効果的に使われることが多いですが、浅黄色。ちょっとくすんだ水色。とても上品な綺麗な色合いですが、それがまたさみしく見える。このさみしさも、大切な心の奥深さですね。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
私にも兄が一人いるので、きっと兄さんだけが叱られていたら、同じような心境だろうなと思います。けれど私の小さいころは、私が叱られるほうでしたので(笑)、そんな時兄は、「叱られる妹」をどんな気持ちでいたのだろうかと思うのでした。鳶の鳴く光景は、仙崎ならではの、のどかな風景の音です。ぜひ、仙崎に行かれたら、ゆっくり耳を澄まして、聴いてみてくださいね。