misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
雪に
金子みすゞ海にふる雪は、海になる。
街にふる雪は、泥になる。
山にふる雪は、雪でいる。
空にまだいる雪、
どォれがお好き。
夢(ゆめ)売り
金子みすゞ年のはじめに
夢売りは、
よい初夢を
売りにくる。
たからの船に
山のよう、
よい初夢を
積んでくる。
そしてやさしい
夢売りは、
夢の買えない
うら町の、
さびしい子等の
ところへも、
だまって夢を
おいてゆく。
ちひろのコメント
明けましておめでとうございます。皆さんの初夢はどんな夢でしたでしょうか。さびしい子どもたちには夢をだまっておいて行ってくれる夢売り。この優しさで今年もみんなで助け合って、笑顔で乗り越えていきたいものです。さあ今年も、金子みすゞさんの言葉からたくさんの優しさをいただき、こだましましょう。明るい方へ
金子みすゞ明るい方へ
明るい方へ。
一つの葉でも
陽(ひ)の洩(も)るとこへ。
籔(やぶ)かげの草は。
明るい方へ
明るい方へ。
翅(はね)は焦(こ)げよと
灯(ひ)のあるとこへ。
夜飛ぶ虫は。
明るい方へ
明るい方へ。
一分(いちぶ)もひろく
日の射(さ)すとこへ。
都会(まち)に住む子等は。
ちひろのコメント
やはり今年は、この詩で締めくくりたくなりました。来年は東日本大震災から10年。そして今コロナ禍で困難な時を生きています。金子みすゞさんはいつも私たちの苦しい時を、どう乗り越えていけばいいのか、その心の在り方のヒントを与えてくれます。明るく、笑顔で、希望を失わず歩んでいこう。私たちみんなで、明るい方へ、明るい方へ!北風の唄(うた)
金子みすゞ中ぞらの凩(こがらし)のおと、
ふと止(や)んだとき
おもうこと――
中ぞらで風がいう。
きけ、きけ、唄を
私(わたし)の唄を、
氷の原に
すむ鳥の唄、
雲のひろ野を
ゆく橇(そり)の鈴(すず)、
みんな私は
もって来た――
誰(だれ)も答えず、ききもせず。
中空で風はふと、
さびしくなった――
ちひろのコメント
私たちはどうしても、目立つところにまず意識が向いてしまいます。でも金子みすゞさんは、ふと、心を立ち止まらせていて、誰も見ていないもの、聴いていない音に、心を傾けています。今見ている聴いているものの何倍もの存在が、周りには沢山ありますね。それに気づいたことをその「もの」が知ったら、どんなに嬉しいでしょうね♪夢(ゆめ)から夢を
金子みすゞ一寸法師(いっすんぼうし)はどこにいる。
一寸法師は身がかるい、
夢から夢を飛んで渡(わた)る。
そして昼間はどこにいる。
昼も夢みる子供等(こどもら)の、
夢から夢を飛んで渡る。
夢のないときゃ、どこにいる。
夢のないときゃ、わからない、
夢のないときゃ、ないゆえに。
ちひろのコメント
最近の私たちは、自分の日常をSNSの世界でも紹介し、実際に会っていなくても相手の様子を詳しく知ることが出来る。そんな生活リズムに慣れた中で、この詩を読んでいると、それとは反対の味わいが伝わってくる。わかならい様子があってもいいじゃない、何をしてるってわけでもない時があってもいいじゃない、と。ぼんやりと、何となく、そんな過ごし方が時にあっていい。ないときゃないゆえに、それを楽しんでいるものですね。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ
ちひろのコメント
大好きな詩です。雪が降る景色にこの詩を思い浮かべると、とても楽しく雪が地面に到着するまで見てしまいます。山にふる雪は、「雪でいる」という表現に、金子みすゞさんのセンスが光りますね。皆さんが雪だったら、どぉれがお好きでしょう。