misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
ちんがらこ
金子みすゞちんが、ちんが、ちんがらこ。
切れた草履(ぞうり)を手に提(さ)げて、
麦の中みちちんがらこ。
飛ぶとき遠くの川瀬(かわせ)がみえた、
あっちのあぜの、豆の花みえた。
麦も飛ぶたび飛ぶような。
みちの縁(ふち)にはげんげ草、
菜種もこぼれて咲(さ)いている。
右に花摘(つ)み、左に花摘(つ)み、
切れた片(かた)しが邪魔(じゃま)になる。
切れた草履が要(い)るものか、
ぽんとほうって、ちんがらこ。
ちんが、ちんが、ちんがらこ。
ころんだ所
金子みすゞいつか使いのかえりみち
ここでころんで泣きました。
あの日みていた小母(おば)さんが
いまもお店にいるようす。
桃太郎(ももたろう)さん、桃太郎さん、
ちょいとお貸(か)しな、かくれみの。
ちひろのコメント
相手はもうそんなことは気にしてないかもしれないことも、自分はいつまでも覚えているものです。誰にもそうした、恥ずかしいな、という経験はあるものですよね。もしも誰かがそんな恥ずかしい気持ちになったとき、心の‘かくれみの’をかけてあげる、そんなさりげない優しさをもっていたいなと思うのです。空と海
金子みすゞ春の空はひかる、
絹(きぬ)のよにひかる、
なんでなんでひかる。
なかのお星が
透(す)くからよ。
春の海はひかる、
貝のよにひかる、
なんでなんでひかる。
なかに真珠(しんじゅ)が
あるからよ。
ちひろのコメント
金子みすゞさんの心の奥には、このファンタジーが広がっています。春の霞んだ空を、絹のベールがかかっているように見つめ、その向こうの星の輝きを見つめています。そして、海にはそのお星さまのように真珠が光っていると、見えないけれどその輝きを見つめています。空と、海とに、みすゞさんは同じ繋がる宇宙を、同じ世界を感じているように思います。次からつぎへ
金子みすゞ月夜に影踏(かげふ)みしていると、
「もうおやすみ」と呼(よ)びにくる。
(もっとあそぶといいのになあ。)
けれどかえってねていると、
いろんな夢(ゆめ)がみられるよ。
そしていい夢みていると、
「さあ学校」とおこされる。
(学校がなければいいのになあ。)
けれど学校へ出てみると、
おつれがあるから、おもしろい。
みなで城(しろ)取りしていると、
お鐘(かね)が教場へおしこめる。
(お鐘がなければいいのになあ。)
けれどお話きいてると、
それはやっぱりおもしろい。
ほかの子供(こども)もそうかしら、
私(わたし)のように、そうかしら。
ちひろのコメント
子どもの頃の生活は、家庭の躾、学校や社会のルールに沿って、ある程度決められた中で生活します。大人になると、ほぼ自分の思いを優先し生活している部分が大きい。そんな中で、大人は自分の気持ちが乗らないと選択しないことも、子どもの場合は大人が言うから仕方ない、で経験を積んでゆく。でもその先に思ってもいなかったほどの楽しみがあったり、新しい出会いがある。大人が決めつけている事柄の向こうに、実はまだまだ新しい楽しみが待っているのかもしれませんね。美しい町
金子みすゞふと思い出す、あの町の、
川のほとりの赤い屋根。
そうして、青い大川の
水のうえには白い帆(ほ)が、
静かに、静かに、動いてた。
そうして、川岸(かし)の草のうえ、
若(わか)い絵描(えか)きの小父(おじ)さんが、
ぼんやり水をみつめてた。
そうして、私(わたし)は何してた。
おもい出せぬとおもったら、
それは誰(だれ)かに借(か)りていた、
御本(ごほん)の挿絵(さしえ)でありました。
ちひろのコメント
金子みすゞさんの詩は、3冊の日記帳に清書されていましたが、その1冊目のタイトルがこの「美しい町」です。きっと、みすゞさんにとって、この生まれてくる童謡の世界、その日記帳の世界は、自分が思い描く、美しい町、美しい心の風景だったんだと思います。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
金子みすゞさんの詩を味わうと、想像力が働くので、今の時代に生きている子どもたちにも、日本の原風景を味わってもらえる空間に誘われます。そして、切れた草履をぽんとほうってしまう主人公の姿がまた、この長閑な畑の景色に、心軽やかになりますね。※「ちんがらこ」とは、片足飛びの呼び名のひとつです