misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
夜なかの風
金子みすゞ夜なかの風はいたずら風よ
ひとり通ればさびしいな。
ねむの葉っぱをゆすぶろか、
ねむの葉っぱはゆすぶられ、
お舟(ふね)に乗った夢(ゆめ)をみる。
草の葉っぱをゆすぶろか、
草の葉っぱはゆすぶられ、
ぶらんこしてる夢をみる。
夜なかの風はつまらなそうに
ひとりで空をすぎてゆく。
魔法(まほう)の杖(つえ)
金子みすゞおもちゃ屋さん、
おひるねよ。
春の日永(ひなが)のお堀(ほり)ばた。
ここの柳(やなぎ)の葉かげから、
私が杖を一つ振(ふ)りゃ、
店のおもちゃはみな活(い)きて、
ゴムのお鳩(はと)は、とび立つし、
張子(はりこ)の虎(とら)はうなり出す……。
おもちゃ屋さん、
そうしたら、
どんなお顔(かお)をするかしら。
ちひろのコメント
おもちゃたちが動き出す世界、みんなが楽しいだろうなぁと一度は想像する世界ですね。それこそディズニー映画もその心から生まれる作品だと思います。みすゞさんの詩集から、アニメーションが飛び出したら、なんて素敵な世界だろうって思います。自分の想像力をフルに活かして、みすゞさんの心に追いつきたいです。空いろの花
金子みすゞ青いお空の色してる、
小さい花よ、よくお聴(き)き。
むかし、ここらに黒い瞳(め)の、
かわいい女の子があって、
さっき私がしてたよに、
いつもお空をみていたの。
一日青ぞら映(うつ)るので、
お瞳(めめ)はいつか、空いろの、
小さな花になっちゃって、
いまもお空をみているの。
花よ、わたしのお噺(はなし)が、
もしもちがっていないなら、
おまえはえらい博士(はかせ)より、
ほんとの空を知っていよ。
いつも私が空をみて、
たくさん、たくさん、考えて、
ひとつもほんとは知らぬこと、
みんなみていよ、知っていよ。
えらいお花はだァまって、
じっとお空をみつめてる。
空に染(そ)まった青い瞳(め)で、
いまも、飽(あ)きずにみつめてる。
ちひろのコメント
春を告げる花のひとつでしょうか、オオイヌノフグリ。このお花を見つけるとこの詩を思い出します。以前、ある幼稚園で園児たちがこの歌が大好きだから歌ってほしいとリクエストがありました。きっとお外で遊ぶとき、園児たちの目線にはこの世界がぴったりハマるのかもしれません。そして園児たちもまた、いろんな新しいものを、じーっと観察しながら大きくなるんですね。げんげ
金子みすゞ雲雀(ひばり)聴(き)き聴き摘(つ)んでたら、
にぎり切れなくなりました。
持ってかえればしおれます、
しおれりゃ、誰(だれ)かが捨(す)てましょう。
きのうのように、芥箱(ごみばこ)へ。
私はかえるみちみちで、
花のないとこみつけては、
はらり、はらりと、撒(ま)きました。
――春のつかいのするように。
ちひろのコメント
摘んだお花、しおれてしまうとわかっていても、摘んで遊んだげんげ、シロツメクサ・・・。捨てられる時の姿を思うみすゞさんは、花のないところへ撒きました。どうせしおれるなら、せめて・・・です。撒いている時はきっと、嬉しい気持ちですね、花のないところへ花を咲かせた気分。ちょっとした違いで、こんなに気持ちが、後味が、変わるんですね。おてんとさんの唄(うた)
金子みすゞ日本の旗(はた)は、
おてんとさんの旗よ。
日本のこども、
おてんとさんのこども。
こどもはうたお、
おてんとさんの唄を。
さくらの下で、
かすみの底で。
日本のくにに、
こぼれる唄は、
お舟(ふね)に積んで、
世界中にくばろ。
こぼれるほどうたお、
おてんとさんの唄を。
さくらのかげで、
おてんとさんの下で。
ちひろのコメント
とても素直に日本が大好きな、自分の国が大好きな気持ちが伝わってきます。みすゞさんは童謡を歌うのも大好きでした。日の光溢れる空の下、大好きな歌を喜びいっぱい歌い合う、この純粋さを忘れずにいたいものです。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ
ちひろのコメント
春の昼間はいろんな息吹きや風を感じて、人も草木も喜ぶ季節。でも夜の夜なかの風のさみしさ。みすゞさんは、みんなが眠る暗い夜、誰にも相手にしてもらえない風の気持ちに、寄り添うんですね。優しいですね。