misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
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金子みすゞ月夜に影踏(かげふ)みしていると、
「もうおやすみ」と呼(よ)びにくる。
(もっとあそぶといいのになあ。)
けれどかえってねていると、
いろんな夢(ゆめ)がみられるよ。
そしていい夢みていると、
「さあ学校」とおこされる。
(学校がなければいいのになあ。)
けれど学校へ出てみると、
おつれがあるから、おもしろい。
みなで城(しろ)取りしていると、
お鐘(かね)が教場へおしこめる。
(お鐘がなければいいのになあ。)
けれどお話きいてると、
それはやっぱりおもしろい。
ほかの子供(こども)もそうかしら、
私(わたし)のように、そうかしら。
美しい町
金子みすゞふと思い出す、あの町の、
川のほとりの赤い屋根。
そうして、青い大川の
水のうえには白い帆(ほ)が、
静かに、静かに、動いてた。
そうして、川岸(かし)の草のうえ、
若(わか)い絵描(えか)きの小父(おじ)さんが、
ぼんやり水をみつめてた。
そうして、私(わたし)は何してた。
おもい出せぬとおもったら、
それは誰(だれ)かに借(か)りていた、
御本(ごほん)の挿絵(さしえ)でありました。
ちひろのコメント
金子みすゞさんの詩は、3冊の日記帳に清書されていましたが、その1冊目のタイトルがこの「美しい町」です。きっと、みすゞさんにとって、この生まれてくる童謡の世界、その日記帳の世界は、自分が思い描く、美しい町、美しい心の風景だったんだと思います。茶碗(ちゃわん)とお箸(はし)
金子みすゞお正月でも
花ざかり、
私(わたし)の紅絵(べにえ)のお茶碗は。
四月が来ても
花咲(さ)かぬ、
私のみどりのお箸(はし)には。
ちひろのコメント
皆さんは、子どもの頃の自分の食器、ごはん茶碗やお箸、こだわりがありましたか?自分のお気に入りもあったかもしれませんが、この「私」のみどりのお箸、本当はお花模様がいいなと思っていたのかも、我慢していたのかもしれませんね。花咲く季節の4月、自分の持ち物にも花が咲いてほしい、そんな可愛い気持ちに、応えてあげたくなりますね。土曜日曜
金子みすゞ土曜は葉っぱ、
日曜は花よ。
柱ごよみの
葉(は)っぱをちぎる、
土曜の晩(ばん)は
たのしいものよ。
お花はじきに
しぼむものよ。
柱ごよみの
お花をちぎる、
日曜の晩は
さみしいものよ。
ちひろのコメント
面白い表現です。お楽しみがいっぱいの日曜日の前が葉っぱで、花が咲く日曜日。小学生の頃、日曜日の夕方あたりから、だんだんさみしくなっていたなぁと、思い出す詩です。金子みすゞの詩は、忘れかけていた子ども心を思い出させてくれますね。その時間が、とても心和むひとときです。魚売りの小母(おば)さんに
金子みすゞ魚売りさん、
あっち向いてね、
いま、あたし、
花を挿(さ)すのよ、
さくらの花を。
だって小母さん、あなたの髪(かみ)にゃ、
花かんざしも
星のよなピンも、
なんにもないもの、さびしいもの。
ほうら、小母さん、
あなたの髪に、
あのお芝居(しばい)のお姫(ひめ)さまの、
かんざしよりかきれいな花が、
山のさくらが咲(さ)きました。
魚売りさん、
こっち向いてね、
いま、あたし、
花を挿(さ)したの。
さくらの花を。
ちひろのコメント
お仕事中は着飾ることはしないおばさんの様子。子どもはいつも綺麗でいてほしい大人の女性像があるのでしょうか。忙しくてオシャレなんかしてられない、そんな大人事情は、子どもにはさびしく映るのかもしれません。春のお花の彩りに、ちょっと助けてもらいましょう。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
子どもの頃の生活は、家庭の躾、学校や社会のルールに沿って、ある程度決められた中で生活します。大人になると、ほぼ自分の思いを優先し生活している部分が大きい。そんな中で、大人は自分の気持ちが乗らないと選択しないことも、子どもの場合は大人が言うから仕方ない、で経験を積んでゆく。でもその先に思ってもいなかったほどの楽しみがあったり、新しい出会いがある。大人が決めつけている事柄の向こうに、実はまだまだ新しい楽しみが待っているのかもしれませんね。