misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
麦の芽
日本の各地で麦の種まき始まります。こうした魔法をかけた麦の芽の物語、時にはこんな世界に思いっきり浸るのも素敵なものですね。秋の夜長、皆さんはどんな想いを巡らせますか。雲の色
金子みすゞ夕やけ
きえた
雲のいろ、
けんか
してきて
ひとりいて、
みていりゃ、
つッと
泣けてくる。
ちひろのコメント
こうした泣けてくる時の心情、一人空を見上げていられる空間があるって、実はとっても幸せなんだなぁって思います。果てしない空だからこそ、思いを馳せることが出来る。泣ける時間を、そんな自分を、あなたも大切にしてくださいね。秋は一夜に
金子みすゞ秋は一夜にやってくる。
二百十日に風が吹き、
二百二十日に雨が降り、
あけの夜あけにあがったら、
その夜にこっそりやって来る。
舟で港へあがるのか、
翅(はね)でお空を翔けるのか、
地からむくむく湧き出すか、
それは誰にもわからない、
けれども今朝はもう来てる。
どこにいるのか、わからない、
けれど、どこかに、もう来てる。
ちひろのコメント
最近の四季の移り変わりは、二季になっていくのではないかと思うほど秋は短く感じます。そして夏の暑さから一気に秋へと変わる。でもその中にもほんのちょっとの変化を、人間は敏感に感じ取りますね。それを感じることが、また嬉しかったりします。四季から受け取る感性を、これからも大切にしていきたいですね。どんぐり
金子みすゞどんぐり山で、
どんぐりひろて、
お帽子にいれて、
前かけにいれて、
お山を降りりゃ、
お帽子が邪魔(じゃま)よ、
辷(すべ)ればこわい、
どんぐり捨てて
お帽子をかぶる。
お山を出たら
野は花ざかり、
お花を摘(つ)めば、
前かけ邪魔よ、
とうとうどんぐり
みんな捨てる。
ちひろのコメント
大好きな詩のひとつです。いっぱいいっぱいどんぐりを拾ったのに、状況が二転三転する度に、いっぱい欲しかったはずのどんぐりを捨てていく。最後の、お花を摘みたい気持ちになってからのどんぐりの見捨て方(笑)。これが、子ども心ですよね。次から次へ、好奇心の旅。執着のない心の在り方は、学ぶ部分もありそうです。やせっぽちの木
金子みすゞ森の隅(すみ)っこの木が云(い)うた。
「きれいな小さい駒鳥(こまどり)さん、
わたしの枝(えだ)でも、おあそびな。」
高慢(こうまん)ちきな駒鳥は、
よその小枝で啼(な)いていた。
「あかい実(み)もない、花もない、
やせっぽちさん、お前には、
森の女王は呼(よ)べまいよ。」
(誰(だれ)がきいてた、
誰かしら、
きいてお空へ告(つ)げに行た。)
高慢ちきな駒鳥が、
日ぐれにまた来てたまげたは、
やせっぽちの木、その梢(こずえ)、
黄金(きん)の木(こ)の実(み)が光ってた。
(まるい、十五夜お月さま。)
ちひろのコメント
自分を森の女王と呼んでいる駒鳥。高慢ちき具合は森のみんなが知っている。可哀そうなやせっぽちの木を、みんなが助けるんですね。そして大きな存在のお月さまが、金の木の実に見えるようにそっと寄り添う。素敵なお話です。金子みすゞさんの好きな部分の一つ、それはこうした正義感がちらちら見えるところです。
「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ
ちひろのコメント
金子みすゞお百姓(ひゃくしょ)、畠(はたけ)に麦まいた。
毎晩(まいばん)、夜霜(よじも)が降(お)りたけど、
毎朝、朝日が消してって、
畠はやっぱり黒かった。
ある夜、夜なかに誰(だれ)か来た、
杖(つえ)を三べん振(ふ)っていた。
「こどもよ、こども、出ておいで。」
あけの明星と、お百姓と、
一しょに麦の芽みィつけた。
そこにもここにもみィつけた。