misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
いいこと
金子みすゞ古い土塀(どべい)が
くずれてて、
墓(はか)のあたまの
みえるとこ。
道の右には
山かげに、
はじめて海の
みえるとこ。
いつかいいこと
したところ、
通るたんびに
うれしいよ。
達磨(だるま)おくり
金子みすゞ白勝った、
白勝った。
揃(そろ)って手をあげ
「ばあんざい。」
赤組(あかぐみ)の方見て
「ばあんざい。」
だまってる
赤組よ、
秋のお昼の
日の光、
土によごれて、ころがって、
赤いだるまが照られてる。
も一つと
先生が云(い)うので
「ばあんざい。」
すこし小声(こごえ)になりました。
ちひろのコメント
運動会は必ず勝ち負けがあって、喜ぶ側と悔しい側とに別れますが、この詩はまた金子みすゞさんのまなざしらしい心がありますね。自分の喜びの裏には悲しみ、悔しさ、さびしさ、そうした立場があるということに気づかせてくれる。先生の大きな喜びも伝わってきますが、小声になってしまった子どもの心もまた、よく伝わってきます。それぞれの思いが分かるぶん、この世の中のいろんなことには、いろんな思いがあることも、理解しておきたいなと思いますね。曼珠沙華(ひがんばな)
金子みすゞ村のまつりは
夏のころ、
ひるまも花火を
たきました。
秋のまつりは
となり村、
日傘(ひがさ)のつづく
裏みちに、
地面(じべた)のしたに
棲(す)むひとが、
線香花火(せんこはなび)を
たきました。
あかい
あかい
曼珠沙華。
ちひろのコメント
彼岸花が咲く景色、日本の風景ですね。地面の下に住む人がたいた線香花火と表現する素敵な感性。金子みすゞさんの512編は知れば知るほど、その奥深さに感動します。「ほんとだなぁ」と感心するこの感覚。でも「ほんとだなぁ」と思う自分の心にも、みすゞさんと同じ感性が眠っている。それを呼び覚ましてもらえた喜びに出会えるのがみすゞさんの詩の素晴らしさ。自分が気が付かない自分の感性。大切にしたいですね。秋
金子みすゞ電灯(でんき)が各自(てんで)に
ひかってて、
各自(てんで)にかげを
こさえてて、
町はきれいな
縞(しま)になる。
縞の明るい所には、
浴衣(ゆかた)の人が
三五人。
縞の小暗い所には、
秋がこっそり
かくれてる。
ちひろのコメント
電灯のあかりが夜の暗い町を縞模様のように照らす光の線。その中に楽しそうな浴衣を着た人が見え隠れする。人の賑やかとは反対に、暗い片隅で、秋がこっそり隠れている様子。夏祭りの余韻を邪魔しないようにしてくれているんでしょうか。金子みすゞさんは、人間以外の様々なものを、人間と同じように描くので、とっても素敵な物語が沢山まわりに生まれます。そんな世界で私たちは生きているんだなぁって、嬉しくなります。紋附(もんつ)き
金子みすゞしずかな秋のくれ方が、
きれいな紋附き着てました。
しろい御紋(ごもん)はお月さま、
藍(あい)をぼかした水いろの、
裾(すそ)のもようは紺(こん)の山、
海はきらきら銀砂子(ぎんすなご)。
紺のお山にちらちらと、
散った灯(あか)りは刺繍(ぬい)でしょう。
どこへお嫁(よめ)にいくのやら、
しずかな秋のくれがたが、
きれいな紋つき着てました。
ちひろのコメント
空が夜に染まるころ、その景色を着物の「紋付き」に例えて見つめています。着物のデザインは、日本の四季を感じる素敵なもの。それを逆に景色の中に着物のデザインを重ねているみすゞさん。「秋のくれがた」さんがきれいなお着物を着ているのです。心次第で、いろんな景色もいろんな見え方で楽しめますね。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
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金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ
ちひろのコメント
ちょっとしたことでも、自分にとって嬉しかったこと、深く心に刻まれているものです。「いいこと」したことをこんなに嬉しく思う私たち。人は誰かの役に立つことが大好きです。子どもの頃のそうした経験は特に大人になっても消えることなく、むしろそれが自分の肯定感に繋がっていく大切な宝物ですね。