misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
波の子守唄(こもりうた)
金子みすゞねんねよ、ねんね、ざんぶりこ、
ざんぶり、ざぶりこ、ねんねしな。
海の底では貝の子が、
藻(も)のゆりかごでねんねした。
ねんねよ、ねんね、ざんぶりこ、
お十五夜(じゅうごや)さま、もう高い。
海の渚(なぎさ)じゃ蟹(かに)の子が、
砂(すな)のお床(とこ)でねんねした。
ざんぶり、ざぶりこ、ねんねしな、
あけの明星(みょうじょ)の白(しら)むまで。
失(な)くなったもの
金子みすゞ夏の渚(なぎさ)でなくなった、
おもちゃの舟(ふね)は、あの舟は、
おもちゃの島へかえったの。
月のひかりのふるなかを、
なんきん玉の渚まで。
いつか、ゆびきりしたけれど、
あれきり逢(あ)わぬ豊(ほう)ちゃんは、
そらのおくにへかえったの。
蓮華(れんげ)のはなのふるなかを、
天童たちにまもられて。
そして、ゆうべの、トランプの、
おひげのこわい王さまは、
トランプのお国へかえったの。
ちらちら雪のふるなかを、
おくにの兵士にまもられて。
失(な)くなったものはみんなみんな、
もとのお家へかえるのよ。
ちひろのコメント
この詩に出てくる豊ちゃんは、みすゞさんの大親友だった田辺豊々代さんだと言われています。22歳の時にお別れした親友。みすゞさんにとって、こうして作品に刻むことが、何よりの絆の形だったことでしょう。失くなったものは、みんなもとのお家へ帰る・・・お盆の時期に、ふと、この詩を想うのでした。お堀(ほり)のそば
金子みすゞお堀のそばで逢(お)うたけど、
知らぬかおして水みてた。
きのう、けんかはしたけれど、
きょうはなんだかなつかしい。
にっと笑ってみたけれど、
知らぬ顔して水みてた。
笑った顔はやめられず、
つッと、なみだも、止(と)められず、
私(わたし)はたったとかけ出した、
小石が縞(しま)になるほどに。
ちひろのコメント
夏休みは久しぶりに会ういとこ同士で喧嘩が始まっちゃった・・・なんてこともあるでしょう。心の中ではすぐに仲直りしたいけど、素直になれない心の裏表。この詩の最後の「小石が縞になるほどに。」という表現が見事ですよね。それだけ走って走って行く姿が浮かんできます。こんな気持ちになる前に、『こだまでしょうか』の詩のような「ごめんね」がこだまし合いますように。水と影(かげ)
金子みすゞお空のかげは、
水のなかにいっぱい。
お空のふちに、
木立(こだち)もうつる、
野茨(のばら)もうつる。
水はすなお、
なんの影も映(うつ)す。
水のかげは、
木立のしげみにちらちら。
明(あか)るい影よ、
すずしい影よ、
ゆれてる影よ。
水はつつましい、
自分の影は小さい。
ちひろのコメント
水に映っているものはみんなそのままの姿。水の素直さを詠っています。でも水の影と詠うそのキラキラと反射する水の姿を、みすゞさんはつつましいと詠います。そのちらちらと映る水の光の影。それはとても小さく輝いていますね。それは、水の影だったんだ・・・小さくなって、細かくなって、揺れている。なんて素敵な姿でしょうか。私はこの詩で、初めての感動を覚えました。夏の宵(よい)
金子みすゞ暮(く)れても明るい
空のいろ、
星がハモニカ
吹(ふ)いている。
暮れても街(まち)には
立つ埃(ほこり)、
空馬車からから
踊(おど)ってる。
暮れても明るい
土のいろ、
線香花火(せんこはなび)が
もえ尽(つ)きて、
あかい火だまが
ほろと散る。
ちひろのコメント
夏の宵、大好きな時間です。まだ冷めきらない昼の空気感が残る夜。みすゞさんの描写はまたとても綺麗です。星がハモニカ吹いている。なんて素敵な表現でしょう。もうこの最初の4行だけで、心は宵の空に持っていかれます。ゆっくりと、線香花火を楽しみたくなりました。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
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金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
波に揺られる海の生き物たちの、なんとも気持ちのいい様子が浮かび上がってくる子守歌。私が作曲し歌にしている詩でもありますが、みすゞさんは、一人娘のふさえさんを寝かしつける時も、優しい声で子守歌を歌ってあげていたんだろうなぁと、いろんな想像が膨らみます。空のむこうでは、もしかしたら、今、子どもにかえったふさえさんが、みすゞさんに子守歌を歌ってもらっているかもしれませんね。