misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

野焼きとわらび
                  金子みすゞ
お山のお山のわらびの子、
とろりとろりと夢(ゆめ)みてた。

赤い翼(つばさ)の大鳥の、
お空を翔(か)ける夢みてた。

お山のお山のわらびの子、
夢からさめて伸(の)びしてた。

かわいいこぶし、ちょいと出だして、
春のあけがた、伸びしてた。
ちひろのコメント
とてもリズムのある詩ですね。みすゞさんの声まで聴こえてきそうなほどです。よく矢崎節夫さんが語られます。「あなたのみすゞさんに会ってください」と。ぜひ、この詩も、あなたの中に在るみすゞさんの感性で、ちょっと口を開けながら、声も出してみても素敵です、そうして読んでみてください。楽しい、春のおとずれです。
2023/03/20の詩

ビラまき自動車
                  金子みすゞ
ビラ撒(ま)き自動車やって来た、
ちゃんちゃか楽隊のせて来た。

ビラを拾おう、赤いビラ、
もっと拾おう、黄(きい)のビラ、

ビラ撒き自動車やって来た。
ビラ撒き自動車、ついてゆこ。

町をはなれりゃ、降(ふ)るビラは、
野原へ散って、げんげ草、
畠(はたけ)へおちて、菜の花に。

春のくるまだ、ついてゆこ。
ちひろのコメント
今はもう見なくなったビラ撒きの光景。子どもにとってこのビラ撒きは楽しいイベントだったことでしょう。現実的には禁止となっていったビラ撒きですが、子どもの世界では色とりどりのお花畑に早変わりです。こうした感性が伸びていく社会であったらいいなと思うこの頃です。
2023/03/13の詩

二つの小箱
                  金子みすゞ
紅絹(もみ)だの、繻子(しゅす)だの、甲斐絹(かいき)だの、
きれいな小裂(こぎれ)が箱いっぱい。
黒だの、白だの、みどりだの、
なんきん玉が箱一ぱい。
  それはみいんな私(わたし)のよ。

いつか、ちいさい兄さんが、
船長さんになったとき、
二つの小箱をたのむのよ。
  それはみいんな私のよ。

船は波路をなん千里、
小人の島へ交易(こうえき)に。
そしてかえりにゃ甲板(かんぱん)に、
島の宝(たから)が山のよう。
  それはみいんな私のよ。

私は明るい縁側(えんがわ)に、
ずらりときれを並べるの。
それからさらさら音立てて、
なんきん玉をかずえるの。
  それはみいんな私のよ。
ちひろのコメント
金子みすゞは詩の創作を夫に禁じられてからは、3歳の一人娘・ふさえの言葉を採集していますが、その綴った手帳のタイトルを『南京玉』とつけています。この『二つの小箱』に出てくる「なんきん玉」という言葉をたどる度に、みすゞさんがどれだけふさえさんのことを宝物に思っていたかが偲ばれます。
2023/03/06の詩

荷馬車
                  金子みすゞ
お馬は
じぶんの影(かげ)んぼの、
おかしなお耳が踏(ふ)みたくて、
下見ていそいで歩きます。

馬車屋は
空(から)っぽの馬車の上、
おおきなお煙菅(きせる)横っちょで、
のどかにお空をみています。

空には
雲がかがやいて、
昨夜(ゆうべ)の火事はうそのよう。
町にも春がじき来ます。
ちひろのコメント
金子みすゞさんの大好きな時間のひとつには、きっと町をぼーっと一人で眺める、いろんな人や動物、景色を眺める時間があったと思います。この詩も、こののどかな景色を見つめているみすゞさんの姿、もうすぐ春が来ることが嬉しそうな姿が浮かんできますね。
2023/02/27の詩

ふうせん
                  金子みすゞ
ふうせん持った子がそばにいて、
私(わたし)が持ってるようでした。

ぴい、とどこぞで笛が鳴る、
まつりのあとの、裏(うら)どおり。

あかいふうせん、
昼の月、
春のお空にありました。

ふうせん持った子が行っちゃって、
すこしさびしくなりました。
ちひろのコメント
赤い風船と、昼の白いお月さま。それが春のお空にある光景。ふわふわ浮かぶ風船と、かすむ春の空のぼんやりとが、なんだかちょっと切なさもあって、少しさびしい気持ちがよく伝わってきますね。思いを描写するセンスが光る、1編です。
2023/02/20の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796

金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

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