misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

郵便局(ゆうびんきょく)の椿(つばき)
                  金子みすゞ
あかい椿が咲(さ)いていた、
郵便局がなつかしい。

いつもすがって雲を見た、
黒い御門(ごもん)がなつかしい。

ちいさな白い前かけに、
赤い椿をひろっては、
郵便さんに笑われた、
いつかのあの日がなつかしい。

あかい椿は伐(き)られたし、
黒い御門もこわされて、

ペンキの匂(にお)うあたらしい、
郵便局がたちました。
ちひろのコメント
金子みすゞ記念館の斜め向かいに仙崎郵便局があります。この仙崎郵便局の2代目局舎がこの詩に詠われたもので、現在は3代目だそうです。金子みすゞさんがここで白い前かけに落ちた椿を拾っていたのかと思うと、とても嬉しくなりますね。赤、黒、白の色のコントラストが見事な詩。みすゞさんの色づかいのセンスが光ります。ちなみに、私の誕生花のひとつが椿なんです。余談でした(笑)。
2021/02/15の詩

雀(すずめ)のかあさん
                  金子みすゞ
子供(こども)が
子雀
つかまえた。

その子の
かあさん
笑ってた。

雀の
かあさん
それみてた。

お屋根で
鳴かずに
それ見てた。
ちひろのコメント
人間からしたらとても可愛い楽しい光景でも、雀の立場からしたら、我が子の命の危険にヒヤヒヤしている光景。同じ状況が立場によって、こんなにも違う局面になっていることを、私たち人間は、もう少し見つめるべきかもしれませんね。地球を見つめなおしている今、金子みすゞさんの眼差しは、とても大切なヒントを、分かりやすく伝えてくれます。
2021/02/08の詩

月日貝
                  金子みすゞ
西のお空は
あかね色、
あかいお日さま
海のなか。

東のお空
真珠(しんじゅ)いろ、
まるい、黄色い
お月さま。

日ぐれに落ちた
お日さまと、
夜あけに沈(しず)む
お月さま、
逢(お)うたは深い
海の底。

ある日
漁夫(りょうし)にひろわれた、
赤とうす黄の
月日貝。
ちひろのコメント
山口県の日本海側の港では、時々獲れる月日貝。その名のとおり、片方が赤く、もう片方が薄黄色。ホタテ貝に似た薄い大きな貝で、底引き網で漁獲されるそうです。ロマンチックな物語に仕上げたみすゞさん。本当に素敵です。詩を読んだ時、すぐメロディを付けたくなりました。命のひとつひとつに、こうした物語がある。なんて素敵な世界でしょう。
2021/02/01の詩

お嬢(じょう)さん
                  金子みすゞ
道を教えた旅びとは、
とうにみえなくなったのに、
私はとぼんとしていたよ。

いつも私のかんがえる、
あのおはなしのお国では、
お姫さまともよばれても、
あたしは貧乏な田舎の子。

「お嬢さん、ありがとう。」
そっとあたりをみまわして、
なにかふしぎな気がするよ。
ちひろのコメント
この旅人は、なんだかお洒落な紳士を想像しますね。聞きなれない、呼ばれたことのない、「お嬢さん」という響きに、心が少し踊っている、可愛らしい様子。こんな小さな初めての喜びを、子どもの頃はきっとみんな、味わっていました。皆さんの思い出にも、そんな素敵な小さな思い出、ありますか?
2021/01/25の詩

積もった雪
                  金子みすゞ
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。

下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。

中の雪
さみしかろな。
空も地面(じべた)もみえないで。
ちひろのコメント
金子みすゞファンにとっては、とても有名な詩の一つですね。人間社会にも当てはまるので、自分の切ない思いに寄り添ってくれる詩として、親しまれています。表向きの印象だけではなく、見えない部分で寂しい思いや辛い思い、我慢している思いを抱えていること、それを見つめる心があれば、お互いを労わる心が生まれますね。
2021/01/18の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796

金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

PageUp

Translate »