misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

紙ふうせん
                  金子みすゞ
一つ、ついては、手をたたく、
紙ふうせんののぼる空。

絹(きぬ)の旗雲、羽の雲、
柳(やなぎ)のような、枝(えだ)の雲。

「さんさん笹(ささ)山」その唄(うた)の
猿(さる)もさんさん、笹山で、

お手々(てて)たたいて春の日を、
みなでたのしくあすぼうし、

ひとりあそびもお日和(ひより)は、
ひとりあそびも春の日は。


※註 「さんさん笹山お猿が一匹手をたたく」一つ手を拍つ、「さんさん笹山お猿が二匹手をたたく」二つ手を拍つ。
ちひろのコメント
春が来た喜びの中に、一人で遊ぶ時間。そこに寂しさではなく、どこかやわらかい春を遊ぶ女の子の微笑む姿が浮かんできます。季節の移り変わりがあることで、春の喜びがあることで、私たちはいろんな感情を味わうことが出来ますね。みすゞさんも、きっと、心の内のいろんな変化を、楽しんでいたのでしょう。
2024/02/05の詩

金米糖(こんぺいとう)の夢
                  金子みすゞ
金米糖(こんぺいとう)は
夢みてた。

春の田舎(いなか)の
お菓子(かし)屋の
硝子(がらす)のびんで
夢みてた。

硝子(がらす)の舟(ふね)で
海越(こ)えて
海のあなたの
大ぞらの
お星になった
夢みてた。
ちひろのコメント
昔からずっと愛され続けているお菓子、金米糖。その小さなお菓子でさえも、大きな夢を抱いているお話。人は人以外のものに、心を重ねて物語を考えるのが好きです。その姿を描くことで、自分たちが忘れてしまいそうな大切な純粋な心を刻みなおすんですね。みすゞさんはそのスペシャリストです。
2024/01/29の詩

お菓子買い
                  金子みすゞ
母さんに言わない
お菓子買い、
菓子屋のかどを
いくたびも、
行って、戻(もど)って、
また行って。

都(みやこ)ことばの
小母(おば)さまに、
一つ貰(もろ)うた
しろい銭(ぜぜ)、
握って、握って
汗(あせ)が出る。
ちひろのコメント
大好きなお菓子も、内緒で買うのはドキドキするもので、ちゃんと親が知っている中で安心して買うのが一番。子どもは親が見守ってくれていることで、伸び伸び行動できます。でも、いろんな思いを経験することで、子どもは少しずつ少しずつ大人に近づいていくんですね。
2024/01/22の詩

                  金子みすゞ
お花が散って
実が熟(う)れて、

その実が落ちて
葉が落ちて、

それから芽が出て
花が咲く。

そうして何べん
まわったら、
この木は御用(ごよう)が
すむかしら。
ちひろのコメント
毎年毎年同じことの繰り返し。何べんまわったら御用がすむかしらと、その周期を大きな眼差しで見つめているみすゞさん。私たちがあたり前のように見つめている自然界の流れも、ふと立ち止まって思いを寄せてみると、変わらない繰り返しが有難い繰り返し‘御用’として映ってきます。みすゞさんはこうした心の眼差しの持ち主なんですね。
2024/01/15の詩

お家のないお魚
                  金子みすゞ
小鳥は枝(えだ)に巣をかける、
兎(うさぎ)は山の穴に棲(す)む。

牛は牛小舎(うしごや)、藁(わら)の床(とこ)、
蝸牛(ででむし)ゃいつでも背負(しょ)っている。

みんなお家をもつものよ、
夜はお家でねるものよ。

けれど、魚はなにがある、
穴をほる手も持たないし、
丈夫(じょうぶ)な殻(から)も持たないし、
人もお小舎をたてもせぬ。

お家をもたぬお魚は、
潮(しお)の鳴る夜も、凍(こお)る夜も、
夜っぴて泳いでいるのだろ。
ちひろのコメント
長門市仙崎の港町に生まれ育った金子みすゞさん。魚に心を寄せる光景も多かったんですね。「おさかな」という詩でも‘海のさかなはかわいそう’と詠っています。みすゞさんのお母さんが大切にしていた「一つのことをいろんな角度から見つめる」こと。どうやらみすゞさんの詩の心にはその眼差しが根底にあるようです。
2024/01/08の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
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金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

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