misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

春のお機(はた)
                  金子みすゞ
トン、トン、トンカラリンと
佐保姫(さほひめ)さまは
むかしお機を織(お)りました。

麦をみどりに、
菜種を黄(きい)に、
げんげを紅(あか)く、
かすみを白く、
五つ色いと
四(よ)つまでつかい、
残ったものは
青いとばかり。

トン、トン、トンカラリンと
佐保ひめさまは
それでお空を織りました。
ちひろのコメント
立春を迎えての最初の1編は、春をつかさどる女神とされる「佐保姫」さまが主人公の詩を選びました。残ったたくさんの青糸で、広い広い青空を織る、その面積の広さに、春を迎える喜び、春の空へ無限に広がる希望がわいてきます。春が来るって、やっぱり嬉しいものですね。
2025/02/03の詩

                  金子みすゞ
夜は、お山や、森の木や、
巣(す)にいる鳥や、草の葉や、
あかい、かわいい花にまで、
黒いおねまき着せるけど、
私(わたし)にだけは、出来ないの。

私のおねまき、まっ白よ、
そして、母さんが着せるのよ。
ちひろのコメント
金子みすゞさんは夜眠る時間もとても楽しみだったような気がします。お寝間着に着替える時間は、きっと昼間は忙しいお母さんが自分に向き合ってくれるから、そのひとときが嬉しかったのでしょう。大人は何気ない日常の繰り返しの一コマに思っていても、子どもにとっては特別なこともあるんですね。
2025/01/27の詩

山茶花
                  金子みすゞ
居ない居ない
ばあ!
誰あやす。

風ふくおせどの
山茶花は。

居ない居ない
ばあ!
いつまでも、

泣き出しそうな
空あやす。
ちひろのコメント
花の姿に、いろんな表情を見つけますね。私たちはなんだか花に心寄せることが多いです。あの山茶花の開ききった姿。本当に、ばあ!と言っているかのように、綺麗に開いています。山茶花を見かけたら、この詩を思い出しみてくださいね♪
2025/01/20の詩

打出の小槌(こづち)
                  金子みすゞ
打出の小槌貰(もろ)うたら
私は何を出しましょう。

羊羹(ようかん)、カステラ、甘納豆(あまなっと)、
姉さんとおんなじ腕(うで)時計。
まだまだそれよりまっ白な、
唄の上手な鸚鵡(おうむ)を出して、
赤い帽子(しゃっぽ)の小人を出して、
毎日踊(おど)りを見ましょうか。

いいえ、それよりおはなしの、
一寸法師(いっすんぼうし)がしたように、
背丈(せたけ)を出して一ぺんに
大人になれたらうれしいな。
ちひろのコメント
巳年の特徴は「新たな挑戦や変化に前向きな年になる」のだとか。打出の小槌はないけれど、いろんな可能性を夢に見て、みんなで楽しい一年になりますように。
2025/01/13の詩

いろはかるた
                  金子みすゞ
ふときく声は、
子供(こども)の声は、
「はなより団子(だんご)、はの字だよ。」

小雨、ぬか雨、ふるなかを、
兄さんむかえにゆくみちよ。

みかえりゃ、雨戸がしまってて、
それでも灯(あかり)はこぼれてた。

「いいかい、おつぎは・・・・・・。」
あるき出す、
向うのむこうが
暗いこと。
ちひろのコメント
お正月の遊びの定番として親しまれていた「いろはかるた」。最近はご当地ものの「かるた」もよく見かけます。楽しそうなかるたをする声に、暗い道がさらに暗く思える心の描写。明と暗の描写、みすゞさんは本当にこの明暗の表現が素晴らしいです。今年も金子みすゞさんの想像力の豊かさと、思い出す子ども心、いろいろ刺激を受けましょう♪
2025/01/06の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796

金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

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