misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
泣きむし
金子みすゞ「泣きむし、毛虫
つまんで捨(す)てろ。」
どっかで誰(だれ)かいうような。
そっとあたりをみまわせば、
青い桜(さくら)の葉のかげに、
毛虫がひとつ居(い)たばかり。
廻旋塔(かいせんとう)のかげをさす、
運動場(うんどうじょう)のひろいこと。
遠い校舎(こうしゃ)のオルガンの
音もしずかにひびき出す。
いまさらうちへははいれない
さくらの葉っぱをむしってる。
一番星
金子みすゞひばりが空で
一番星みィつけた。
船頭(せんど)の子が海で
一番星みィつけた。
支那(しな)の子が支那で
一番星みィつけた。
たァれが長者に
なァる。
知っているものは
一番星ばかり。
※詩の言葉は作品のオリジナリティを尊重し原文のまま記載しております。
魚売りの小母(おば)さんに
金子みすゞ魚売りさん、
あっち向いてね、
いま、わたし、
花を挿(さ)すのよ、
さくらの花を。
だって小母さん、あなたの髪(かみ)にゃ、
花かんざしも
星のよなピンも、
なんにもないもの、さびしいもの。
ほうら、小母さん、
あなたの髪に、
あのお芝居(しばい)のお姫(ひめ)さまの、
かんざしよりかきれいな花が、
山のさくらが咲(さ)きました。
魚売りさん、
こっち向いてね、
いま、わたし、
花を挿(さ)したの、
さくらの花を。
げんげ畑
金子みすゞちらほら花も
咲(さ)いている、
げんげ畑が
犁(す)かれます。
やさしい瞳(め)をした
黒牛に
曳(ひ)かれて犁(すき)が
うごくとき、
花も葉っぱも
つぎつぎに、
黒い、重たい
土の下。
空じゃ雲雀(ひばり)が
ないてるに、
げんげ畑は
犂(す)かれます。
御殿(ごてん)の桜(さくら)
金子みすゞ御殿の庭の八重ざくら、
花が咲かなくなりました。
御殿のわかい殿さまは、
町へおふれを出しました。
青葉ばかりの木の下で、
剣術(けんじゅつ)つかいがいいました。
「咲かなきゃ切ってしまうぞ。」と。
町の踊(おど)り子はいいました。
「私の踊りをみせたなら、
笑ってすぐに咲きましょう。」
手品(てづま)つかいはいいました。
「牡丹(ぼたん)、芍薬(しゃくやく)、芥子(けし)の花、
みんな此の枝へ咲かせましょ。」
そこで桜がいいました。
「私の春は去(い)にました、
みんな忘(わす)れたそのころに、
私の春がまた来ます。
そのときこそは、咲きましょう、
わたしの花に咲きましょう。」
「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
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金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ