misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

電信柱
                  金子みすゞ
耳もとでおしゃべり雀の声がして、
電信柱は眼がさめた。

野菜ぐるまの絶えたころ、
工夫がコツコツやって来た。

おひるすぎから風が出た、
子供がお耳をおっつけた。

糸を切られたふうせんは、
鼻をかすめて飛んでった。

夕焼小焼で日がくれた、
あたまの近くへ星が出た。

足もとで救世軍がうたうので、
電信柱はねむなった。
ちひろのコメント
ぜひ、自分が電信柱になった気持ちで読んでみてください。電信柱の一日を体感する詩です。「あたまの近くへ星が出た」って、いいですね。とても好きな部分です。金子みすゞさんはこうして日々、歩いている道にいろんな一日を想っているんですね。
2023/05/15の詩

薔薇(ばら)の根
                  金子みすゞ
はじめて咲(さ)いた薔薇は、
紅(あか)い大きな薔薇だ。
  土のなかで根がおもう。
  「うれしいな、
   うれしいな。」

二年めにゃ、三つ、
紅い大きな薔薇だ。
  土のなかで根がおもう。
  「また、咲いた、
   また咲いた。」

三年めにゃ、七つ、
紅い大きな薔薇だ。
  土のなかで根がおもう。
  「はじめの花は
   なぜ咲かぬ。」
ちひろのコメント
同じ薔薇なのに、感激が違う。これは私たちによくあることですね。どんどん期待していく私たちの心。もっと、もっとと、この欲は本来の美しさを見失います。感激する心も、自分自身の心次第なんですね。
2023/05/08の詩

日永(ひなが)
                  金子みすゞ
山から
山を
雲のかげは。

枝(えだ)から
枝へ
春の鳥は。

空から
空を
その子の瞳(めめ)は。

空より
そとを
日なかの夢(ゆめ)は。
ちひろのコメント
春の日永に、のんびりした時間が過ぎていきます。お昼寝の時間には、夢は空よりも向こうの世界へと漂っています。いいですね、この、春の匂いも感じるのんびりした空気感。忙しい日々の、束の間の心の旅。金子みすゞさんにご案内していただきましょう。
2023/05/01の詩

空の鯉(こい)
                  金子みすゞ
お池の鯉よ、なぜ跳ねる。

あの青空を泳いでる、
大きな鯉になりたいか。

大きな鯉は、今日ばかり、
明日はおろして、しまわれる。

はかない事をのぞむより、
跳ねて、あがって、ふりかえれ。

おまえの池の水底に、
あれはお空のうろこ雲。

おまえも雲の上をゆく、
空の鯉だよ、知らないか。
ちひろのコメント
この詩も大好きな詩の一つです。今の時代、インターネットの世界が頭を支配している錯覚を起こすほどに影響力が強く、心のバランスを崩しがちな方も多い世の中です。この詩で金子みすゞさんが伝えたい思い。自分の生きているフィールドをもっとよく見てごらん、他人と比べるのではなく、自分を見つめ、自分の世界を精一杯生きてごらん、あなたは素晴らしい一人なんだよと、聴こえてくる気がします。
2023/04/24の詩

蜂(はち)と神さま
                  金子みすゞ
蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀(どべい)のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。

そうして、そうして、神さまは、
小ちゃな蜂のなかに。
ちひろのコメント
金子みすゞの代表作と呼ばれる一つ。かつてローマ法王がこの詩を知った時、「日本にはなんてすばらしい詩人がいるのでしょうか」と涙されたというエピソードが残っています。小さな心の中にも、無限に広がる宇宙がある。この詩を味わう時はいつも、私はミクロからマクロ、マクロからミクロへと視点が移ってもそこに同じ世界があることを感じます。明治36年生まれのみすゞさんが、あの時代にこうした心の旅が出来たことが、信じられないくらいに素晴らしいと感動します。まだまだ、みすゞさんから学ぶ人生、永遠に続きそうです。
2023/04/17の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796

金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

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