misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
しもやけ
金子みすゞしもやけの
すこうしかゆい小春日(こはるび)に、
お背戸(せど)の山茶花(さざんか)咲(さ)きました。
その花折って髪(かみ)にさし、
そしてしもやけ見ていたら、
ふっと、私(わたし)がお噺(はなし)の、
継娘(ままこ)のようにおもわれて、
浅黄(あさぎ)に澄(す)んだお空さえ、
なにかさみしくなりました。
白い帽子(ぼうし)
金子みすゞ白い帽子、
あったかい帽子、
惜(お)しい帽子。
でも、もういいの、
失(な)くしたものは、
失くしたものよ。
けれど、帽子よ、
お願(ねが)いだから、
溝(みぞ)やなんぞに落ちないで、
どこぞの、高い木の枝(えだ)に、
ちょいとしなよくかかってね、
私(わたし)みたいに、不器(ぶき)っちょで、
よう巣(す)をかけぬかわいそな鳥の、
あったかい、いい巣になっておやり。
白い帽子、
毛糸の帽子。
ちひろのコメント
やさしいやさしい詩ですね。とても気に入っていた毛糸の帽子。見つからないことを割り切って諦めたけど、でも、せっかくだから、変わりの誰かの温もりになっていてほしいと願う気持ち。温かいですね。読んでいる私の心が、温かいです。報恩講(ほうおんこう)
金子みすゞ「お番」の晩(ばん)は雪のころ、
雪はなくても暗(やみ)のころ。
くらい夜みちをお寺へつけば、
とても大きな蠟燭(ろうそく)と、
とても大きなお火鉢(ひばち)で、
明るい、明るい、あたたかい。
大人はしっとりお話で、
子供(こども)は騒(さわ)いじゃ叱(しか)られる。
だけど、明るくにぎやかで、
友だちゃみんなよっていて、
なにかしないじゃいられない。
更(ふ)けてお家へかえっても、
なにかうれしい、ねられない。
「お番」の晩は夜なかでも、
からころ足駄(あしだ)の音がする。
ちひろのコメント
「報恩講」とは、浄土真宗の開祖である親鸞聖人の祥月命日に合わせて、営まれる法要のことです。金子みすゞさんのお家は浄土真宗の門徒だったので、みすゞさんの詩にもその背景が感じられることも少なくありません。夜の荘厳な特別感。子どもにとってはワクワクする気分を抑えられない特別な夜。それがだんだんと大人になると理解してくる。それで良いのでしょうね、それがまた、良いのでしょうね。羽蒲団(はねぶとん)
金子みすゞあったかそうな羽蒲団(はねぶとん)、
誰(だれ)にやろ、
表でねむる犬にやろ。
「私(わたし)よりか」と犬がいう。
「うらのお山の一つ松、
ひとりで風を受けてます。」
「私よりか」と松がいう。
「野原でねむる枯(か)れ草は、
霜(しも)のおべべを着ています。」
「私よりか」と草がいう。
「お池にねむる鴨(かも)の子は、
氷の蒲団しいてます。」
「私よりか」と鴨がいう。
「雪のお蔵(くら)のお星さま、
よっぴてふるえていられます。」
あったかそうな、羽蒲団、
誰にやろ、
やっぱし私が着てねよよ。
ちひろのコメント
みんなが優しい心のリレー。私からスタートして、どんどん、どんどん、続いて、挙句の果てには手の届かないお星さまへ。そうなると、やっぱり私が着て寝ようってことに、なりますね。この最後のオチが好きです。みすゞさんらしいユーモアがあります。このみすゞさんの面白さを、沢山の方に知ってもらいたい、そう思う1編です。元日
金子みすゞみんなで双六(すごろく)しましょうと、
みんなの御用(ごよう)のすむときを、
待っているまはさみしいな。
遠い遠い原っぱで
男の子たちの声がする。
大戸卸(おろ)して屏風(びょうぶ)をたてて、
暗い暗いうちのなか、
お山のようにさみしいな。
凍(い)てた表にからころと
さむい足駄(あしだ)の音がする。
昨日(きのう)は夜を待ちくたびれて、
今朝も跳(は)ね跳ねお着物(べべ)を着たが、
お正月とはさみしいものよ。
姉さん学校へいっちゃって
母さん御用がまだすまぬ。
ちひろのコメント
お正月は楽しいと思いきや、大人はみんな忙しく、遊ぶ相手がいないお正月。こうした思い出ありますね。着物を着るお正月も今の時代は本当に少ないかもしれません。コロナ禍で迎えるお正月は2年目ですね。少しでも穏やかな気持ちで家族団らん出来ていますように。願うばかりです。
「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ
ちひろのコメント
自分だけの静かな時の流れです。しもやけが出来ている指を見ていると、自分があるお噺の中の可哀そうな主人公に思えてきたんですね。みすゞさんの詩は色の描写がとても効果的に使われることが多いですが、浅黄色。ちょっとくすんだ水色。とても上品な綺麗な色合いですが、それがまたさみしく見える。このさみしさも、大切な心の奥深さですね。