misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
草の名
金子みすゞ人の知ってる草の名は、
私(わたし)はちっとも知らないの。
人の知らない草の名を、
私はいくつも知ってるの。
それは私がつけたのよ、
好きな草には好きな名を。
人の知ってる草の名も、
どうせ誰(だれ)かがつけたのよ。
ほんとの名まえを知ってるは、
空のお日さまばかりなの。
だから私はよんでるの、
私ばかりでよんでるの。
墓(はか)たち
金子みすゞ墓場のうらに、
垣根(かきね)ができる。
墓たちは
これからは、
海がみえなくなるんだよ。
こどもの、こどもが、乗っている、
舟(ふね)の出るのも、かえるのも。
海辺(うみべ)のみちに、
垣根ができる。
僕(ぼく)たちは
これからは、
墓がみえなくなるんだよ。
いつもひいきに、見て通る、
いちばん小さい、丸いのも。
ちひろのコメント
一つの垣根を墓場からと道からと、両方の目線で描いています。お墓にとっては、海が見えなくなって、お墓の主の孫が乗ってる舟が見えなくなると描いています。
そして、通りからはお墓が見えているのが見えなくなる。ひいきに見ている小さい丸いお墓の存在、なんだかその姿形が目に浮かびますね。いつの時代のものなのか、誰が眠っていのかもわからない古い古い誰かのご先祖さまのお墓。
一つの垣根という存在が、両方の立場のそれぞれの見つめている光景をこうして変えてしまうこと。私たちはどうしても自分の側だけを想像してしまいますが、この詩からもまた、金子みすゞさんの素晴らしいまなざし、向こうの立場に佇むまなざしがありますね。
桃(もも)の花びら
金子みすゞみじかい、みどりの
春の草、
桃がお花をやりました。
枯(か)れてさみしい
竹の垣(かき)、
桃がお花をやりました。
しめって黒い
畑(はた)の土、
桃がお花をやりました。
おてんとさまは
よろこんで、
花のたましい呼(よ)びました。
(草のうえから、
畠(はたけ)から、
ゆらゆらのぼるかげろうよ。)
ちひろのコメント
桃のやさしさをお日さまが喜んで、花のたましいを呼びました。なんて素敵な物語でしょうか。ゆらゆらと空気が立ちのぼる現象を、花のたましいが空にのぼっていく姿に見立てる金子みすゞさんの感性に感動します。3月10日はみすゞさんのご命日です。この世に512編もの優しく深い学びの詩を、みんなのために遺してくれたみすゞさん。きっと、おてんとさまはその優しさをよろこんで、金子みすゞさんのたましいを、優しく、優しく、呼んでくださったでしょう。
雛(ひな)まつり
金子みすゞ雛のお節句(せっく)来たけれど、
私はなんにも持たないの。
となりの雛はうつくしい、
けれどもあれはひとのもの。
私はちいさなお人形と、
ふたりでお菱(ひし)をたべましょう。
ちひろのコメント
雛人形は、女の子にとってとても思い出深いものですね。でもその人形の大きさや豪華さは家によって違うので、どうしても比べてしまいます。自分の思い出の中に、とても気に入っていた雛人形があることは、幸せなことなんだなぁと感じます。金子みすゞさんのこの「雛まつり」はちょっと切ないですが、それがまた雛まつりの色々な光景ですね。華やかさと切なさと、両方を見つめる心があるのが、みすゞさんですね。
おはなし
金子みすゞ青い、きれいな野の果てに、
銀にひかるは湖水(こすい)です。
湖水の岸の御殿(ごてん)には、
小さな、小さな、女王さま。
(それは魔法(まほう)のみずうみで、
小さくなった私(わたし)です。)
うしろに並(なら)ぶお侍女(こしもと)、
(それはやっぱりみずうみで、
小さくなったお友だち。)
前の御家来(ごけらい)、ひげ男、
(それは私の先生よ。)
黄金(きん)の時計がいま鳴って、
ちいさな女王は花びらで、
お花の蜜(みつ)を召(め)しあがる……。
こんなおはなししたけれど、
大人は笑ってしまいます。
なんだか私はさびしいな。
ちひろのコメント
子どもの突拍子もない発想に、大人は時々笑います。でも子どもにとってその世界は、とても本気で真面目な世界です。けれども、笑われても笑われても貫いていけば、立派な童謡詩人。何事も自分を信じて貫くこと、大切ですね!「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
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金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ
ちひろのコメント
音楽に乗っているとすぐに覚えるのに、言葉だけだと暗記が苦手な私なので、この詩は特に自分の味方のように感じる詩です(笑)。確かにいろんな名前は全て人間がつけたもの。この宇宙の中での本当の名まえがあるかもしれませんね。だから勝手に私の好きな名前で呼んじゃう、全てに通じるわけはないですが、そんな心遊びが楽しいですね。