misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
粉雪
金子みすゞこんこん
こん粉雪(こなゆき)
あんまり白い、
こんこ松に
たまって、
みどりに染(そ)まれ。
硝子(がらす)
金子みすゞおもい出すのは、雪の日に、
落ちて砕(くだ)けた窓(まど)硝子。
あとであとでと、思ってて
ひろわなかった窓硝子。
びっこの犬をみるたびに
もしやあの日の窓下を
とおりゃせぬかと思っては、
忘(わす)れられない、雪の日の
雪にひかった、窓硝子(がらす)。
ちひろのコメント
誰にも言わないけれど気にしていたことが、ずっとずっと気になっていたことが原因かもしれないと思い詰めてしまうこと。些細なことでもこうしたことってありますね。自分の言ったことが…とか、あの時ああしておけば…とか。金子みすゞさんにも、こうした思いがあったのでしょうか。詩の言葉の表現で現在は使われない表現をしている言葉も、あえて作品を尊重するためにそのまま掲載していますので、ご了承ください。
茶棚(ちゃたな)
金子みすゞ茶棚の上には
ブリキ缶(かん)、
お伽(とぎ)ばなしの
銀の壺(つぼ)。
時計が三つ
打ったなら、
なかから出るもの
ビスケット。
茶棚のなかには
お菓子鉢(かしばち)、
きのうはカステラ
あったけど、
お菓子が湧(わ)かない
ものならば、
いまではきっと
からっぽだ。
ちひろのコメント
みすゞさんもお菓子が大好きだったんですね、きっと。他にも弟の分のお菓子を食べてしまったお話の詩もあります。いまでは空っぽ、ということは、もう食べてしまったという可愛いオチがあります。小さい頃は、お預けされたお菓子が気になって仕方なかった、そんな思い出、懐かしいですね。石ころ
金子みすゞきのうは子供(こども)を
ころばせて
きょうはお馬を
つまずかす、
あしたは誰(だれ)が、
とおるやら。
田舎(いなか)のみちの
石ころは、
赤い夕日に
けろりかん。
ちひろのコメント
この「石ころ」の詩は、大正13年に『童話』に掲載されています。そして、「きょうはお馬を/つまずかす、」の部分が、雑誌の掲載はこの表記ですが、金子みすゞさんの手帳には「きょうもお馬を/つまずかす、」と記してあります。投稿作品が掲載されるときに、加筆や修正がなされていたことがわかります。皆さんは、オリジナルと修正版と、どちらがお好きでしょう。私は曲にしているのは、雑誌に投稿された表記を選んでいます。こうした違いを楽しむのも、またいいものです。洋灯(らんぷ)
金子みすゞ田舎(いなか)のまつりに
来てみたが、
みじかい秋の
日が暮(く)れて、
神輿(みこし)の声の
遠いころ、
洋灯(らんぷ)のくらさ
たよりなさ……。
みつめていれば
どこやらで、
ひそひそ虫が
ないている。
ちひろのコメント
洋灯と書いて「らんぷ」と読むこの読み仮名。明治時代には早くも「らんぷ」と呼んでいたようです。田舎の様子と、外国からの流行りの「らんぷ」の呼び名の対照的な雰囲気が面白い。みすゞさんは当時大都会だった下関に移り住んだことで、きっと田舎と都会の違いというものも、新鮮に感じていたことでしょう。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
冬の景色。雪の白色に染まる世界を想うことはあっても、「みどりに染まれ」という感性はまた、みすゞさんの素敵な感性ですね。全てを白く染める雪に対して、雪をみどりに染める松を思い浮かべるみすゞさん。雪が他の色に染まってもいいじゃない?というユニークな心。遊び心って、いろんなことに余裕が持てて、素敵ですね。