misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
お正月と月
金子みすゞお月さん、
なぜやせる。
かど松の
松の葉のよに
なぜ細る、
お正月くるに。
冬の雨
金子みすゞ母さま、母さま、ちょいと見て、
雪がまじって降(ふ)っててよ。」
「ああ、降(ふ)るのね。」とお母さま、
お裁縫(しごと)してるお母さま。
――氷雨(ひさめ)の街(まち)をときどき行くは、
みんな似(に)たよな傘(かさ)ばかり。
「母さま、それでも七つ寝(ね)りゃ、
やっぱり正月(しょうがつ)来(く)るでしょか。」
「ああ、来るのよ。」とお母さま、
春着(はるぎ)縫(ぬ)ってるお母さま。
――このぬかるみが河(かわ)ならいいな、
ひろい海なら、なおいいな。
「母さま、お舟(ふね)がとおるのよ、
ぎいちら、ぎいちら、櫓(ろ)をおして。」
「まあ、馬鹿(ばか)だね。」とお母さま、
こちら向かないお母さま。
――さみしくあてる、左(ひだり)の頬(ほほ)に、
つめたいつめたい硝子(ガラス)です。
ちひろのコメント
退屈な子どもの様子。お母さんは裁縫で忙しいけど、話し相手になってほしい。外のぬかるみに想像が膨らんで、ぬかるみの河に舟がとおる。思わずその世界を話したら、現実のお母さんは素っ気ないお返事で。子どもの頃に誰もが経験する切ない思い出でしょうか。左の頬の冷たさは、まるで自分の思い出のように伝わってくるようですね。紙(かみ)の星
金子みすゞ思い出すのは、
病院(びょういん)の、
すこし汚(よご)れた白い壁(かべ)。
ながい夏の日、いちにちを、
眺(なが)め暮(くら)した白い壁。
小(ち)さい蜘蛛(くも)の巣(す)、雨のしみ、
そして七つの紙(かみ)の星(ほし)。
星にかかれた七つの字、
メ、リ、ー、ク、リ、ス、マ、七つの字。
去年(きょねん)、その頃(ころ)、その床(とこ)に、
どんな子供(こども)がねかされて、
その夜の雪にさみしげに、
紙のお星を剪(き)ったやら。
忘(わす)れられない、
病院の、
壁に煤(すす)けた、七つ星。
ちひろのコメント
毎年クリスマスが近づくとこの詩を思い出します。ずっと入院をしていた子どもが病院で迎えたクリスマスを想います。みすゞさんのセンスが光るのが「メリークリスマ」と最後の「ス」がないことです。貼っていた紙が落ちてしまった最後の「ス」、それがないことが何とも言えない余韻を残します。まるで私たち自身がその病院を知っているかのように。店の出来事
金子みすゞ霰(あられ)がこんころり、
潜戸(くぐり)からはいった。
お客さんが、霰と、
お連(つ)れになってはいった。
(こんばんは。)
(はい、いらっしゃい。)
歌時計(うたどけい)がちんからり、
お客さんの手で鳴った。
あられの音にまじって、
一つとやを歌うた。
(さようなら。)
(はい、ありがとう。)
歌時計がちんからり、
鳴り鳴り出てった。
消えるまできいてて、
ふっと気がつけば、
霰はとうに止(や)んでいた。
ちひろのコメント
人間以外のお客さん、霰のお客さん。心の中でいらっしゃいと迎えてあげる。用事を済ませてたお客さんとまた一緒に出ていく霰さん。でも珍しい歌時計の音に心が奪われて、ふっと我に返ったら、霰は止んでいた。誰も知らないお客さんの存在です。でもそれは自分にはちゃんと存在していました。霰が止んで、何も無かったかのように消えていった。これも、ちゃんと、お店の出来事、でした。蓄音機(ちくおんき)
金子みすゞ大人はきっとおもっているよ、
子供(こども)はものをかんがえないと。
だから、私(わたし)が私の舟(ふね)で、
やっとみつけたちいさな島の、
お城(しろ)の門をくぐったとこで、
大人はいきなり蓄音機をかける。
私はそれを、きかないように、
話のあとをつづけるけれど、
唄(うた)はこっそりはいって来ては、
島もお城もぬすんでしまう。
ちひろのコメント
子供には子供の世界がある。でも世の中は大人のリズムで進んでいる。空想の世界でせっかく遊んでいるのに、大きな大きな蓄音機の音が鳴りはじめたら、やっぱり気になる鳴り響く唄。空想の世界の島もお城も、全部消えちゃうんですね。黙っている子供の姿の中に、いろんな世界が同時進行していることを、大人はもう少し、見つめてあげられたら、素敵ですね。
「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
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金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ
ちひろのコメント
なんと短い詩でしょう。でもこれだけで十分気持ちがとっても伝わってきますね。嬉しいお正月が来るのに、どんどん細くなっていくお月さま。不思議と私たちはお月さまに思いを寄せますが、こんな私たちの思いがお月さまにはどう映っているのでしょう。クスっと笑っているのかもしれませんね。