misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

茶棚(ちゃたな)
                  金子みすゞ
茶棚の上には
ブリキ缶(かん)、
お伽(とぎ)ばなしの
銀の壺(つぼ)。

時計が三つ
打ったなら、
なかから出るもの
ビスケット。

茶棚のなかには
お菓子鉢(かしばち)、
きのうはカステラ
あったけど、

お菓子が湧(わ)かない
ものならば、
いまではきっと
からっぽだ。
ちひろのコメント
みすゞさんもお菓子が大好きだったんですね、きっと。他にも弟の分のお菓子を食べてしまったお話の詩もあります。いまでは空っぽ、ということは、もう食べてしまったという可愛いオチがあります。小さい頃は、お預けされたお菓子が気になって仕方なかった、そんな思い出、懐かしいですね。
2022/11/28の詩

石ころ
                  金子みすゞ
きのうは子供(こども)を
ころばせて
きょうはお馬を
つまずかす、
あしたは誰(だれ)が、
とおるやら。

田舎(いなか)のみちの
石ころは、
赤い夕日に
けろりかん。
ちひろのコメント
この「石ころ」の詩は、大正13年に『童話』に掲載されています。そして、「きょうはお馬を/つまずかす、」の部分が、雑誌の掲載はこの表記ですが、金子みすゞさんの手帳には「きょうもお馬を/つまずかす、」と記してあります。投稿作品が掲載されるときに、加筆や修正がなされていたことがわかります。皆さんは、オリジナルと修正版と、どちらがお好きでしょう。私は曲にしているのは、雑誌に投稿された表記を選んでいます。こうした違いを楽しむのも、またいいものです。
2022/11/21の詩

洋灯(らんぷ)
                  金子みすゞ
田舎(いなか)のまつりに
来てみたが、
みじかい秋の
日が暮(く)れて、

神輿(みこし)の声の
遠いころ、
洋灯(らんぷ)のくらさ
たよりなさ……。

みつめていれば
どこやらで、
ひそひそ虫が
ないている。
ちひろのコメント
洋灯と書いて「らんぷ」と読むこの読み仮名。明治時代には早くも「らんぷ」と呼んでいたようです。田舎の様子と、外国からの流行りの「らんぷ」の呼び名の対照的な雰囲気が面白い。みすゞさんは当時大都会だった下関に移り住んだことで、きっと田舎と都会の違いというものも、新鮮に感じていたことでしょう。
2022/11/14の詩

秋日和(あきびより)
                  金子みすゞ
お天気、お天気、
川辺の梢(こずえ)で、
もずきち高啼(な)く。
 
乾(かわ)いた、乾いた、 
刈田(かりた)の刈稲((かりいね)、
榎(えのき)の掛稲(かかいね)。

続くよ、続くよ、
むこうの街道(かいど)を
稲積んだ車が。

お天気、お天気、
啼け啼けもずきち、
底なしお空で。
ちひろのコメント
モズを「もずきち」と呼んでいるのがとても嬉しい気持ちになります。なんだか、この秋の爽やかなお天気の中で、モズに自分の気持ちを重ねるような、自分の代わりに空高く啼いておくれと言っているような気がします。みすゞさんの心が、秋晴れの空に溶けていくようです。
2022/11/07の詩

草原の夜
                  金子みすゞ
ひるまは牛がそこにいて、
青草たべていたところ。

夜(よる)ふけて、
月のひかりがあるいてる。

月のひかりのさわるとき、
草はすっすとまた伸(の)びる。
あしたも御馳走(ごちそう)してやろと。

ひるま子供(こども)がそこにいて、
お花をつんでいたところ。

夜ふけて、
天使がひとりあるいてる。

天使の足のふむところ、
かわりの花がまたひらく、
あしたも子供に見せようと。
ちひろのコメント
金子みすゞさんを歌い始めた最初の頃に曲をつけた詩ですが、とても幻想的な世界観が大好きです。最近描き始めた油絵にもこの作品を描いてみました。人間がいない静寂な夜の。邪魔したくない、邪魔できない、そんな神秘的な空間です。
2022/10/31の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796

金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

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