misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
灰(はい)
金子みすゞ花咲爺(はなさかじい)さん、灰おくれ、
笊(ざる)にのこった灰おくれ、
私(わたし)はいいことするんだよ。
さくら、もくれん、梨(なし)、すもも、
そんなものへは撒(ま)きゃしない、
どうせ春には咲くんだよ。
一度もあかい花咲かぬ、
つまらなそうな、森の木に、
灰のありたけ撒くんだよ。
もしもみごとに咲いたなら、
どんなにその木はうれしかろ、
どんなに私もうれしかろ。
夕ぐれ
金子みすゞ「夕焼小焼」
うたいやめ、
ふっとだまった私たち。
誰(だれ)もかえろといわないが。
お家の灯がおもわれる、
おかずの匂(にお)いもおもわれる。
「かえろがなくからかァえろ。」
たれかひとこと言ったなら、
みんなばらばらかえるのよ、
けれどももっと大声で
さわいでみたい気もするし、
草山、小山、日のくれは、
なぜかさみしい風がふく。
ちひろのコメント
子どもたちが遊ぶ光景。いつまでも遊んでいたい気持ちと、夕食が待っている楽しみと。こだまする子どもの声がなくなった夕暮れの街。風がひとりさみしく吹いて、また明日も子どもたちを待っているのかもしれませんね。風
金子みすゞ空の山羊(やぎ)追い
眼(め)にみえぬ。
山羊は追われて
ゆうぐれの、
曠野(ひろの)のはてを
群(む)れてゆく。
空の山羊追い
眼にみえぬ。
山羊が夕日に
染(そ)まるころ、
とおくで笛を
ならしてる。
ちひろのコメント
秋の空の雲。山羊がいっぱいの雲。やっぱり秋は空の景色が本当に綺麗で癒されますね。四季折々の空の変化があることで、私たちの心もリフレッシュ出来ます。そこに物語を想うみすゞさんの心、あなたも何か想像してみませんか。舟乗(ふなのり)と星
金子みすゞ舟乗は星をみた、
星はいってた、
「おいでよ、おいで。」
波はずいぶん高かった。
舟乗の眼(め)はかがやいた。
風もおそれず、波もみず、
星へへさきを向けていた。
舟乗は岸へついてた、
知らぬまに。
「星か、星か、」とおもってた。
星はやっぱり遠かった。
舟乗をにがしたと、
波はなおさら怒(おこ)ってた。
ちひろのコメント
荒れた海の怖さも伝わる物語。星は助かる方へと導いてくれていたのでしょうか。自然界の大きさを前に、人間は本当にちっぽけに感じますが、そんな小さな存在の私たちでも、自然界は見つめてくれているのか・・・畏敬の念を忘れずにいたいものです。老楓(ろうふう)
金子みすゞ年とった庭の楓(かえで)に
十一月のお日さまは、
ときが来たよ、といいました。
年とった庭の楓は
うつうつと昼寝(ひるね)していて
色づくことを忘(わす)れました。
新建ちのお倉の屋根が高いから
十一月のお日さまは
ちらとのぞいたきりでした。
年とった庭の楓の
青い葉は青いまんまで
しずかに散ってゆきました。
ちひろのコメント
年をとった楓に、とても優しいお日さまです。本当は色づいて、黄金色や真っ赤な色に染まってこその秋。でも年とって眠くて、すっかりそのことを忘れてしまう老楓。お日さまもそっとして見つめます。青いまんま、散ってもいい。それを静かにみつめる私たち。そのままにゆっくりと過ごす年があっても、いいのかなと思います。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
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金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
金子みすゞさんの詩には、沢山おとぎ話の登場人物やアンデルセン童話を思わせるモチーフやイメージが出てきたりします。きっとみすゞさん自身もそうした物語を想像するのは得意だったことでしょう。そんな中でみすゞさんらしいのは、みんなが幸せな思いになること。一人だけが幸せなのは、本当は寂しい。それに気づかせてくれます。いつもそんな心でありたいですね。