misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
小さなうたがい
金子みすゞあたしひとりが
叱(しか)られた。
女のくせにって
しかられた。
兄さんばっかし
ほんの子で、
あたしはどっかの
親なし子。
ほんのおうちは
どこかしら。
つばな
金子みすゞつゥばな、つばな、
白(しィろ)い、白(しィろ)いつばな。
夕日の土手で、
つばなを抜(ぬ)けば、
ぬいちゃいやいや、
かぶりをふるよ。
つゥばな、つばな、
白(しィろ)い、白(しィろ)いつばな。
日ぐれの風に、
飛ばそよ、飛ばそ、
日ぐれの空の、
白(しィろ)い雲になァれ。
ちひろのコメント
歌っているように詠んでみてください。とっても気持ちが軽やかになります。初夏の白いふわふわした毛の束のような花を咲かせるつばな。小さいころ、道端のいろんな草花で遊んだ頃が、懐かしいです。金子みすゞさんもきっと、お花たちと遊んでいたんですね。雲のこども
金子みすゞ風の子供(こども)のいるとこに、
波の子供はあそびます。
波の大人のいるとこにゃ、
風も大人がいるのです。
だのに、お空を旅してる、
雲のこどもはかわいそう。
大人の風につれられて、
いきをきらしてついてゆく。
ちひろのコメント
金子みすゞさんは、いろんな立場に立ってみつめる心が本当に柔らかくて、この詩も、あぁ本当だ、とふっと心の力が抜けるような、そんな感覚にもなります。雲は小さくても大きくても同じ速さで進んでゆく。その様を大人と子供として見つめるみすゞさん。この自然界すべてに、いのちがあり物語がある。心豊かな風景です。げんげ畑
金子みすゞちらほら花も
咲いている、
げんげ畑が
犂(す)かれます。
やさしい瞳(め)をした
黒牛に
曳(ひ)かれて犂(すき)が
うごくとき、
花も葉っぱも
つぎつぎに、
黒い、重たい
土の下。
空じゃ雲雀(ひばり)が
ないているに、
げんげ畑は
犂(す)かれます。
ちひろのコメント
田んぼの田植えの準備が始まる頃、田んぼが耕される景色に思いますね。げんげがまだ咲いていると、あーって、見ているだけの立場の私はげんげに心が傾きますが、こうして土の中に埋もれる草花たちもまた栄養となっていくのでしょう。雲雀のなく声がまた、日常の光と陰を描写していますね。私たちの生活、営みの中の大切な眼差しですね。夜なかの風
金子みすゞ夜なかの風はいたずら風よ
ひとり通ればさびしいな。
ねむの葉っぱをゆすぶろか、
ねむの葉っぱはゆすぶられ、
お舟(ふね)に乗った夢(ゆめ)をみる。
草の葉っぱをゆすぶろか、
草の葉っぱはゆすぶられ、
ぶらんこしてる夢をみる。
夜なかの風はつまらなそうに
ひとりで空をすぎてゆく。
ちひろのコメント
春の昼間はいろんな息吹きや風を感じて、人も草木も喜ぶ季節。でも夜の夜なかの風のさみしさ。みすゞさんは、みんなが眠る暗い夜、誰にも相手にしてもらえない風の気持ちに、寄り添うんですね。優しいですね。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ
ちひろのコメント
兄弟のこういうことはよくあることですね。それぞれの立場でそれぞれの思いがあって、親も公平に叱ることがなかなか難しい状況。こうしたやりとりで、小さな社会勉強です。私は兄が勉強している側に行って邪魔していたので、叱られてあたり前でした(笑)。