misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
赤土山
金子みすゞ赤土山の赤土は、
売られて町へゆきました。
赤土山の赤松は、
足のしたから崩(くず)れてて、
かたむきながら、泣きながら、
お馬車のあとを見送った。
ぎらぎら青い空のした、
しずかに白いみちの上。
町へ売られた赤土の、
お馬車は遠くなりました。
時のお爺(じい)さん
金子みすゞタッ、タッ、といそいで駈(か)けてゆく、
忙(せわ)しい「時」のお爺さん。
私(わたし)の持ってるものならば、
なんでもあなたにあげましょう。
穴(あな)のある石、縞(しま)の石、
あおいラムネの玉いつつ。
ふるい不思議な芝居絵(しばいえ)も、
銀の芒(すすき)のかんざしも。
タッ、タッ、と休まず駈けてゆく、
臣(おお)きな「時」のお爺さん。
もしも、あなたがお祭を、
いますぐ持って来てくれるなら。
ちひろのコメント
金子みすゞさんは、きっとお祭りが大好きだったんですね。時を刻んでいるお爺さん、いつも時を刻むために忙しい休みのないお爺さんに、お祭りの日を早く持ってきてほしい、時をその時にすぐにしてほしいと願う子ども心。そのためには自分の大切なものをなんでもあげるんですね。お祭りが待ち遠しい夏。時のお爺さんは、ちょっと早めに駈けてくれるでしょうか。うらない
金子みすゞ夕やけ、
小やけ、
赤い草履(ぞんぞ)
飛ばそ。
赤い草履(ぞんぞ)
裏(うら)だ、
も一度
飛ばそ。
表
出るまで、
何べんでも
飛ばそ。
夕やけ、
小やけ、
雲まで
飛ばそ。
ちひろのコメント
今年の夏至は6月21日。夕焼けの美しい時間もゆっくりと流れます。そんな中で、子どもたちが遊ぶ光景。思い浮かべるだけでなんとも美しく、ノスタルジックな思いになります。こうして、いつまでも時間を忘れて遊ぶ子どもたちが、安心して外で遊べる世の中であってほしいですね。さみしい王女
金子みすゞつよい王子にすくわれて、
城(しろ)へかえった、おひめさま。
城はむかしの城だけど、
薔薇(ばら)もかわらず咲(さ)くけれど、
なぜかさみしいおひめさま、
きょうもお空を眺(なが)めてた。
(魔法(まほう)つかいはこわいけど、
あのはてしないあお空を、
白くかがやく翅(はね)のべて、
はるかに遠く旅してた、
小鳥のころがなつかしい。)
街(まち)の上には花が飛び、
城に宴(うたげ)はまだつづく。
それもさみしいおひめさま、
ひとり日暮(ひぐれ)の花園で、
真紅(まっか)な薔薇(ばら)は見も向かず、
お空ばかりを眺めてた。
ちひろのコメント
おとぎ話のお姫さま、魔法にかかっていた頃のほうがよかったと、懐かしく思っています。いろんな感じ方があるものです。みすゞさんの心にかかると、めでたしめでたしなストーリーにも、こんな一面がある。面白い視点ですね。象の鼻
金子みすゞむうく、むうく
山の上、
巨(おお)きな象が白い。
むうく、むうく
空に、
象の鼻が伸(の)びる。
――水いろの空に、
失(な)くした牙(きば)が
しィろくほそく。
むうく、むうく
鼻が、
伸びても伸びても遠い。
とどかぬ
ままに、
灰(はい)いろに暮(く)れて、
――しずかな空に、
とれない牙(きば)は、
いよいよしろく。
ちひろのコメント
年々、入道雲が現れる時期が早くなってきていると感じますが、雲の形は、私たちをいろんな世界へ導きますね。どんどん変わる雲の形に、いろんな想像が膨らみます。夏の雲は、楽しい世界が広がりますね。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
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金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
山口県の美祢市、金子みすゞさんの故郷・長門市の隣の市ですが、そのあたりは赤土山が多い地域です。なので、この詩を読んでいると、そのあたりの風景が浮かんできます。赤い石州瓦の土として売られるのでしょうか、その赤土との別れ。赤松が泣いて見送っています。人間の普通の営みの中にも、こうした声なき思いがたくさんあるのかもしれませんね。