misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
芝草(しばくさ)
金子みすゞ名は芝草というけれど、
その名を言ったことはない。
それはほんとにつまらない、
みじかいくせに、そこらじゅう、
みちの上まではみ出して、
力(ちから)いっぱいりきんでも、
とてもぬけない、つよい草。
げんげは紅(あか)い花がさく、
すみれは葉までやさしいよ、
かんざし草はかんざしに、
きょうびななんかは笛になる。
けれどももしか野原じゅう、
そんな草たちばかしなら、
くたびれたとき、わたしらは、
どこへ腰(こし)かけ、どこへねよう。
青い、丈夫(じょうぶ)な、やわらかな、
たのしいねどこよ、芝草よ。
ゆびきり
金子みすゞ牧場の果てにしずしずと、
赤いお日さま沈(しず)みます。
柵(さく)にもたれて影ふたつ、
ひとりは町の子、紅(あか)リボン、
ひとりは貧(まず)しい牧場の子。
「あしたはきっと、みつけてね。
七つ葉のあるクローバを。」
「そしたら、ぼくに持って来て、
そんなきれいな噴水(ふきあげ)を。」
「えええ、きっとよ、ゆびきりよ。」
ふたりは指をくみました。
牧場のはての草がくれ、
あかいお日さま、ひとりごと。
「草にかくれて、このままで、
あすは出ないでおきたいな。」
ちひろのコメント
とても可愛い物語ですね。小さな恋の物語、とでも呼べるでしょうか、絵本のように光景が浮かんできますね。可愛い二人に照れている、お日さまの様子がまた可愛い。こんなに純粋に夢を見る心を、私たち、小さいころは持っていたのですね、きっと。これからも心の片隅にこの世界を味わう心はずっと持っていたいものです。御殿(ごてん)の桜
金子みすゞ御殿の庭の八重ざくら、
花が咲(さ)かなくなりました。
御殿のわかい殿(との)さまは、
町へおふれを出しました。
青葉ばかりの木の下で、
剣術(けんじゅつ)つかいがいいました。
「咲かなきゃ切ってしまうぞ。」と。
町の踊(おど)り子はいいました。
「私の踊りをみせたなら、
笑ってすぐに咲きましょう。」
手品(てづま)つかいはいいました。
「牡丹(ぼたん)、芍薬(しゃくやく)、芥子(けし)の花、
みんな此(こ)の枝(えだ)へ咲かせましょ」
そこで桜がいいました。
「私の春は去(い)にました、
みんな忘れたそのころに、
私の春がまた来ます。
そのときこそは、咲きましょう、
わたしの花に咲きましょう。」
ちひろのコメント
人間の傲慢さを静かに伝えてくる、そんな深い詩です。権力を使ったり、特別な能力を見せつけたり、人間は調子に乗ってどんどん傲慢になっていきます。けれど桜は、みんなが忘れた頃に咲くと言います。人間が意のままにいかなくなった物を見捨てた時、自分の花は、自分の花として咲くと言います。花が咲く姿に、生きる命の姿に、何かが重なって見えてくるような気がします。
四月
金子みすゞ新しい御本、
新しい鞄(かばん)に。
新しい葉っぱ、
新しい枝に。
新しいお日さま、
新しい空に。
新しい四月、
うれしい四月。
ちひろのコメント
大好きな詩の一つです。新しいスタートというのは、何とも嬉しい心の切り替えが出来ますね。「新しくなる」「新しくする」ということは、私たちの1年の繰り返しの中で、とても大切な要素な気がします。さあ、新しい四月を、嬉しくスタートしましょう!
山ざくら
金子みすゞさくら、さくら、山ざくら、
私(わたし)は髪(かみ)に挿(さ)しました。
山ひめさまになりました。
さくら、さくら、山ざくら、
その木の下に立ちました。
山ひめさまは立ちました。
さくら、さくら、山ざくら、
舞(ま)っておみせ、といいました。
山ひめさまがいいました。
さくら、さくら、山ざくら、
ひらりしゃらりと舞いました。
山ひめさまにみせました。
さくら、さくら、山ざくら、
髪から、みんな散りました。
駈(か)け駈けかえる山みちで。
ちひろのコメント
春の光景の山々に、山桜の姿がちらほら映る景色は大好きです。髪に桜を挿した瞬間から「山ひめさま」になったファンタジーの世界。でもその世界は本当に心の中から繋がった、目には見えない素敵な山での出来事。その別世界から自分の住む下の世界に帰る山道で、桜が散ると同時に現実に戻っていく、その描き方がとても素敵です。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ
ちひろのコメント
金子みすゞさんの詩の中で人気のある詩のひとつです。目立つお花に目が行く私たち。でも確かに芝草は、ゆっくり腰かけるのにはもってこいです。あのぽかぽか陽気の芝生の上は、何にも代え難い最高の憩いの場。私の家の庭にもどんどん、どんどん広がっていく(笑)芝草がいます。コンサートの遠征から帰り、その柔らかい芝草の上を歩くのが大好きです。これからも、私たちを優しく受け入れてくれる、強い芝草に「ありがとう」を言いましょう。