misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

                  金子みすゞ
お花が散って
実が熟(う)れて、

その実が落ちて
葉が落ちて、

それから芽が出て
花が咲く。

そうして何べん
まわったら、
この木は御用(ごよう)が
すむかしら。
ちひろのコメント
毎年毎年同じことの繰り返し。何べんまわったら御用がすむかしらと、その周期を大きな眼差しで見つめているみすゞさん。私たちがあたり前のように見つめている自然界の流れも、ふと立ち止まって思いを寄せてみると、変わらない繰り返しが有難い繰り返し‘御用’として映ってきます。みすゞさんはこうした心の眼差しの持ち主なんですね。
2024/01/15の詩

お家のないお魚
                  金子みすゞ
小鳥は枝(えだ)に巣をかける、
兎(うさぎ)は山の穴に棲(す)む。

牛は牛小舎(うしごや)、藁(わら)の床(とこ)、
蝸牛(ででむし)ゃいつでも背負(しょ)っている。

みんなお家をもつものよ、
夜はお家でねるものよ。

けれど、魚はなにがある、
穴をほる手も持たないし、
丈夫(じょうぶ)な殻(から)も持たないし、
人もお小舎をたてもせぬ。

お家をもたぬお魚は、
潮(しお)の鳴る夜も、凍(こお)る夜も、
夜っぴて泳いでいるのだろ。
ちひろのコメント
長門市仙崎の港町に生まれ育った金子みすゞさん。魚に心を寄せる光景も多かったんですね。「おさかな」という詩でも‘海のさかなはかわいそう’と詠っています。みすゞさんのお母さんが大切にしていた「一つのことをいろんな角度から見つめる」こと。どうやらみすゞさんの詩の心にはその眼差しが根底にあるようです。
2024/01/08の詩

郵便局(ゆうびんきょく)の椿(つばき)
                  金子みすゞ
あかい椿が咲(さ)いていた、
郵便局がなつかしい。

いつもすがって雲を見た、
黒い御門(ごもん)がなつかしい。

ちいさな白い前かけに、
赤い椿をひろっては、
郵便さんに笑われた、
いつかのあの日がなつかしい。

あかい椿は伐(き)られたし、
黒い御門もこわされて、

ペンキの匂(にお)うあたらしい、
郵便局がたちました。
ちひろのコメント
明けましておめでとうございます。このご挨拶の年賀状のやりとりで、一年で一番郵便局やポストの前に立つことが多い時期でしょうか。この詩の郵便局はみすゞさんの実家・現在の金子みすゞ記念館の斜め向かいにある仙崎郵便局を詠っています。今年も、いろんなご挨拶が行き交う、嬉しい一年になりますように。
2024/01/01の詩

明るい方へ
                  金子みすゞ
明るい方へ
明るい方へ。

一つの葉でも
陽(ひ)の洩(も)るとこへ。

藪(やぶ)かげの草は。

明るいほうへ
明るい方へ。

翅(はね)は焦(こ)げよと
灯のあるとこへ。

夜飛ぶ虫は。

明るい方へ
明るい方へ。

一分(いちぶ)もひろく
日の射すとこへ。

都会(まち)に住む子等は。
ちひろのコメント
今年ラストの詩は「明るい方へ」を選びました。今年はコロナ禍からいろんなことが明るい方へ進んだ気がしますが、まだまだ油断出来ない日々でした。来年はもう少し‘明るい方へ’向かうことが出来ますように♪そんな願いを込めながら・・・。
2023/12/25の詩

親なし鴨(がも)
                  金子みすゞ
お月さん
凍(こお)る、
枯(か)れ葉にゃ
あられ、

あられ
降(ふ)っては
雲間の
月よ。

お月さん
凍る、
お池も
こおるに、

親なし
子鴨、
どうして
ねるぞ。
ちひろのコメント
自然界に暮らす野生の動物たちは、人間が想う以上にたくましく生きていますよね。ちょっと心配になってしまう子鴨も、厳しい環境の中で大人へと成長します。人間は自分たちで暮らしやすい環境にしていく力を持っていますが、こうした自然界に生きる命にも影響していること、忘れてはいけませんね。
2023/12/18の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796

金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

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