misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
夏の宵(よい)
金子みすゞ暮(く)れても明るい
空のいろ、
星がハモニカ
吹(ふ)いている。
暮れても街(まち)には
立つ埃(ほこり)、
空馬車からから
踊(おど)ってる。
暮れても明るい
土のいろ、
線香花火(せんこはなび)が
もえ尽(つ)きて、
あかい火だまが
ほろと散る。
七夕の笹(ささ)
金子みすゞみちを忘(わす)れた子雀(すずめ)が、
浜(はま)でみつけた小笹藪(ささやぶ)。
五色(ごしき)きれいな短冊(たんざく)は、
藪のまつりか、うれしいな。
かさこそもぐった藪のなか、
すやすやねんね、そのうちに、
お宿は海へながれます。
海にしずかな日が暮(く)れりゃ、
きのうのままの天の川。
やがてしらじら夜があけて、
海の最中(さなか)で眼(め)をさます、
かわい子雀、かなしかろ。
ちひろのコメント
ちょっと切ない七夕の夜です。賑やかで、鮮やかな色合いの七夕の景色ですが、その中でも、もしかすると、さみしい気持ちで過ごしている存在もどこかにいるかもしれません。そんな影を、みすゞさんは見つめています。自分が楽しい裏で、いろんなことも起こっているんですよね。藪蚊(やぶか)の唄(うた)
金子みすゞブーン、ブン、
木陰(こかげ)にみつけた、乳母車(うばぐるま)、
ねんねの赤ちゃん、かわいいな、
ちょいとキスしよ、頬(ほ)っぺたに。
アーン、アン、
おやおや、赤ちゃん泣き出した、
お守どこ行(い)た、花つみか、
飛んでって告(つ)げましょ、耳のはた。
パーン、パン、
どっこい、あぶない、おお怖(こわ)い、
いきなりぶたれた、掌(て)のひらだ、
命(いのち)、ひろうたぞ、やあれ、やれ。
ブーン、ブン、
藪のお家(うち)は暗いけど、
やっぱりお家へかえろかな、
かえって、母さんとねようかな。
ちひろのコメント
みすゞさんは、人間が嫌がる存在の蚊にも、優しい温かい家族の背景を見つめていました。でも、自分の周りを飛んでいる蚊、自分に止まった蚊を見ると、とてもこの物語のようには思えませんが(笑)、蚊をこんなに可愛く描くみすゞさんは、全てをフラットに見つめている優しい心の持ち主ですね。やっぱり、これが、みすゞさんです。赤土山
金子みすゞ赤土山の赤土は、
売られて町へゆきました。
赤土山の赤松は、
足のしたから崩(くず)れてて、
かたむきながら、泣きながら、
お馬車のあとを見送った。
ぎらぎら青い空のした、
しずかに白いみちの上。
町へ売られた赤土の、
お馬車は遠くなりました。
ちひろのコメント
山口県の美祢市、金子みすゞさんの故郷・長門市の隣の市ですが、そのあたりは赤土山が多い地域です。なので、この詩を読んでいると、そのあたりの風景が浮かんできます。赤い石州瓦の土として売られるのでしょうか、その赤土との別れ。赤松が泣いて見送っています。人間の普通の営みの中にも、こうした声なき思いがたくさんあるのかもしれませんね。時のお爺(じい)さん
金子みすゞタッ、タッ、といそいで駈(か)けてゆく、
忙(せわ)しい「時」のお爺さん。
私(わたし)の持ってるものならば、
なんでもあなたにあげましょう。
穴(あな)のある石、縞(しま)の石、
あおいラムネの玉いつつ。
ふるい不思議な芝居絵(しばいえ)も、
銀の芒(すすき)のかんざしも。
タッ、タッ、と休まず駈けてゆく、
臣(おお)きな「時」のお爺さん。
もしも、あなたがお祭を、
いますぐ持って来てくれるなら。
ちひろのコメント
金子みすゞさんは、きっとお祭りが大好きだったんですね。時を刻んでいるお爺さん、いつも時を刻むために忙しい休みのないお爺さんに、お祭りの日を早く持ってきてほしい、時をその時にすぐにしてほしいと願う子ども心。そのためには自分の大切なものをなんでもあげるんですね。お祭りが待ち遠しい夏。時のお爺さんは、ちょっと早めに駈けてくれるでしょうか。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
この夏の明るい宵のころは、なんとも言えない明るい切なさを感じる頃ですね。私たちって、なぜ、この「切なさ」が好きなんでしょうか。そこに何があるのでしょう。いくつになっても、その答えは見つからないような、それがまた切なくていいな、なんて思います。