misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

月のお舟(ふね)
                  金子みすゞ
空いっぱいのうろこ雲
お空の海は大波だ。

佐渡(さど)から戻(もど)る千松の
銀のお舟がみえがくれ。

黄金(こがね)の櫓(ろ)さえ流されて
いつ、ふるさとへ着こうやら。

みえて、かくれて、荒海(あらうみ)の
果てから果てへ、舟はゆく。
ちひろのコメント
秋の空のうろこ雲。夜空のうろこ雲がダイナミックに動く様子は、とても幻想的です。三日月のお舟がゆく空の海。秋の夜空を眺める時間、いい時間です。
2025/09/22の詩

おねんねお舟(ふね)
                  金子みすゞ
島から来た舟、おつかれか、
入り江(え)の波はやさしいに、
ゆったり、ゆったり、おねんねよ。

おさかな積んで、はるばると、
ひろい荒海(あらうみ)こえて来た、
小さい舟よ、おねんねよ。

島の人たちもどるときゃ、
重いお米を買ってくる、
青い菜(な)っぱを買ってくる。

島から来た舟、それまでは、
やさしい波にゆすられて、
ゆったり、ゆったり、おねんねよ。
ちひろのコメント
人間が営みの中で使っている物たち。そのいろんな物のおかげで私たちは仕事が出来ていますが、その物にもいろんな思いがあるとしたら・・・。おねんねお舟もお仕事で疲れている様子、束の間の休憩のその時くらいは、そっとしておいてあげたいですね。そして、あなたの周りの物たちも、今、お疲れではありませんか?そして、あなたも・・・。
2025/09/15の詩

ばあやのお話
                  金子みすゞ
ばあやはあれきり話さない、
あのおはなしは、好きだのに。

「もうきいたよ」といったとき、
ずいぶんさびしい顔してた。

ばあやの瞳(め)には、草山の、
野(の)茨(ばら)のはなが映(うつ)ってた。

あのおはなしがなつかしい、
もしも話してくれるなら、
五度も、十度も、おとなしく、
だまって聞いていようもの。
ちひろのコメント
何度も聴く方は、「また?」という気持ちでも、話す方は聴いてほしい気持ちがいっぱい。そのやりとりは、なかなか難しいものですね。言葉には大きな影響力がある。だからこそ、つい言ってしまう言葉にも気を付けたいですし、日頃からつい言ってしまう言葉が相手を傷つけない言葉であるように、心根を優しく保っていたい、そう思います。
2025/09/08の詩

海へ
                  金子みすゞ
祖父(じい)さも海へ、
父(とと)さも海へ、
兄(あに)さも海へ、
みんなみんな海へ。

海のむこうは
よいところだよ、
みんな行ったきり
帰りゃあしない。

おいらも早く
大人になって、
やっぱり海へ
ゆくんだよ。
ちひろのコメント
金子みすゞさんが見つめた故郷仙崎の海と、20歳から移り住んだ下関の関門の海。みすゞさんの心には、その果てしない海のむこうに、いろんな思いが溶けてゆく気がします。さみしさと、夢と、いろんな思いを馳せる海。みすゞさんにとって、海を見つめるひとときは、きっと大切な時間だったと思います。
2025/09/01の詩

小さな朝顔
                  金子みすゞ
あれは
いつかの
秋の日よ。

お馬車で通った村はずれ、
草屋が一けん、竹の垣(かき)。

竹の垣根に空いろの、
小さな朝顔咲(さ)いていた。
――空をみている瞳(め)のように。

あれは
いつかの
晴れた日よ。
ちひろのコメント
ここにも空いろの花が。私が大好きな詩『空いろの花』のイメージはオオイヌノフグリなのですが、いろんな色がある朝顔の中でみすゞさんが空いろの朝顔を想っている。みすゞさん、やっぱり空が大好きなんだなぁって思います。ふと思い出す花の存在。そんな「ふと・・・」の瞬間を大事にする心、そんな心の余裕を忘れたくないですね。
2025/08/25の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796

金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

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