misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

魚の嫁(よめ)入り
                  金子みすゞ
さかなの姫(ひめ)さまお嫁入り、  
むこうの島までお嫁入り。

島までつづいたお行列、
ぎんぎら、ぎんぎら、銀かざり。

島の上にはお月さま、
提灯(ちょうちん)ともしておむかえよ。

さてもみごとなお行列、
海のおもてをねってゆく。
ちひろのコメント
夜の暗い海の水面に、キラキラと反射し輝く月の光。それがむこうの島までずーっと繋がっているように見え、なんとも美しい光景が浮かびます。その海の中ではずらずらと魚の行列を描くみすゞさん。素敵な世界ですね。水面ぎりぎりに泳ぐ、長いめでたい行列がそこには見えてきますね。
2022/05/16の詩

忘(わす)れた唄(うた)
                  金子みすゞ
野茨(のばら)のはなの咲いている、
この草山にきょうも来て、
忘れた唄をおもいます。
夢(ゆめ)より遠(とお)い、なつかしい、
ねんねの唄をおもいます。

ああ、あの唄をうとうたら、
この草山の扉(と)があいて、
とおいあの日のかあさまを、
うつつに、ここに、みられましょ。

きょうも、さみしく草にいて、
きょうも海みておもいます。
「船はしろがね、櫓(ろ)は黄金(こがね)」
ああ、そのあとの、そのさきの、
おもい出せないねんね唄。
ちひろのコメント
ふと昔なつかしい子どもの頃を思い出す、そんな時ってありますね。みすゞさんは16歳のとき、お母さんが親戚の家に後妻として移り住み、父親も2歳の時に亡くなっています。色々とさみしい時も多かったことでしょう。それを重ねてこの詩を読むと、とても切ないねんね唄が遠くで思われます。
2022/05/09の詩

さかむけ
                  金子みすゞ
なめても、吸(す)っても、まだ痛(いた)む
紅(べに)さし指のさかむけよ。

おもい出す、
おもい出す、
いつだかねえやにきいたこと。

「指にさかむけできる子は、
親のいうこときかぬ子よ。」

おとつい、すねて泣いたっけ、
きのうも、お使いしなかった。

母さんにあやまりゃ、
なおろうか。
ちひろのコメント
決して根拠があるわけではないけれど、言われたら気になる、そのせいで?、と思うことってありますね。さかむけ。ゴールデンウィークは家族団らんのひとときも多いことでしょう。親のいうこときかぬ子は、果たしてさかむけが出来るでしょうか。
2022/05/02の詩

切り石
                  金子みすゞ
石屋に切られた
切り石は、
飛んで街道(かいど)の
水たまり。

学校もどりの
左側、
はだしの子供よ、
気をつけな。

切り石ゃ切られて
おこってる。
ちひろのコメント
金子みすゞさんにかかると、石ころたちの世界が生き生きとしてきます。私たちが石につまづいたり、切り傷をつけたりしたときは、石たちの機嫌が悪いのかもしれません。
石にも心のようなものがあったとしたら、日々いろんなことに影響を受けて、それも当然でしょう。共に生きているこの世界で、いろんなものに思いやりを持つことは、やさしい世界をつくる、傷つかない世界をつくる、大切なことかもしれませんね。
2022/04/25の詩

雨あがり
                  金子みすゞ
一ばんさきにみつけたは、
ちいさなはこべの花でした。
「あれあれ、あすこにお日いさま。」

雲のかげからお日いさま、
ちょいと、目ばかり出してます。

どの木も、どの木も、枝(えだ)ならし、
どの葉も、どの葉も、うれしげに。

「おおお、お日さま、お久(ひさ)しゅう、
ずいぶんみんなは待ちました。」

雲のかげからお日いさま、
いらずらそうに、笑ってる。
ちひろのコメント
ずっと続いた雨があがる時の、植物たちの喜びです。このセリフの「おおお、」という表現、とても好きです。「おお」ではなくて3つ「お」が繋がっているこの表現。よっぽど待っていた感が伝わりますねぇ。
お日さまの「目」だけ出しているという表現も、本当に可愛いです。雲の隙間からほんのちょっと差し込む光。今度、雨上がりの日差しが差し掛かっていた時があったら、ぜひこの「雨あがり」の詩を思い出して、重ねてみつめてみてください。とっても素敵な童謡の世界が広がるでしょう。
2022/04/18の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796

金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

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