misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
お寝着(ねまき)
金子みすゞ八時打ちます、
お時計が、
おねまき着せます、
おかあさま。
白い、白い、おねまきを、
来て寝(ね)りゃ、
白い夢(ゆめ)ばかり。
お花のついた昼のべべ、
着て寝りゃ、
お花になれように。
蝶々(ちょうちょう)のついた外出着(よそゆき)を
着て寝りゃ、
蝶々になれように。
だけども母さま
着(き)せるから、
だまって着ましょう
白ねまき。
柘榴(ざくろ)の葉と蟻(あり)
金子みすゞ柘榴(ざくろ)の葉っぱに蟻がいた。
柘榴の葉っぱは広かった、
青くて、日陰(ひかげ)で、その上に、
葉っぱは静(しず)かにしてやった。
けれども蟻は、うつくしい、
花をしとうて旅に出た。
花までゆくみち遠かった、
葉っぱはだまってそれ見てた。
花のふちまで来たときに、
柘榴の花は散っちゃった、
しめった黒い庭土(にわつち)に。
葉っぱはだまってそれ見てた。
子供(こども)がその花ひィろって、
蟻のいるのも知らないで、
握(にぎ)って駈(か)けて行っちゃった。
葉っぱはだまってそれ見てた。
ちひろのコメント
ちょうど今の季節に咲く柘榴の花ですが、いろいろな植物の茎から花まで一所懸命登っている蟻の姿、見かけますよね。植物たちは自分の体にやってくる虫たちを、蜜を求めてやってくる虫たちを、このように静かに見守っているのでしょうか。「葉っぱはだまってそれ見てた。」という言葉で、大好きな絵本「おおきな木」(シェル・シルヴァスタイン作)を思い出します。植物の気持ち、人間には計り知れない優しさがあるのかもしれませんね。
ねがい
金子みすゞ夜が更(ふ)けるなぁ、
ねむたいなあ。
いいや、いいや、ねてしまおう。
夜(よる)の夜(よ)なかに、この部屋へ、
赤い帽子(しゃっぽ)でひょいと出て、
こっそり算術(さんじゅつ)やっておく、
悧巧(りこう)な小びとが一人やそこら、
きっとどこぞにいるだろよ。
ちひろのコメント
私が歌にしている詩の一つですが、小学生の頃からずっと賢くていつもクラスで首席だった金子みすゞさんが、こうした詩を詠ったことが、またみすゞさんの素敵なところに感じます。小びとたちが数人で大きな鉛筆を抱えて答えを書いてくれている様子が、アニメーションのように浮かんできます。橙(だいだい)の花
金子みすゞ泣いじゃくり
するたびに、
橙の花のにおいがして来ます。
いつからか、
すねてるに、
誰(だれ)も探(さが)しに来てくれず、
壁(かべ)の穴(あな)から
つづいてる、
蟻(あり)をみるのも飽(あ)きました。
壁のなか、
倉のなか、
誰かの笑う声がして、
思い出しては泣いじゃくる、
そのたびに、
橙の、花のにおいがして来ます。
ちひろのコメント
山口県の長門市や萩市では、今、夏橙(夏みかん)の花が咲き誇っています。金子みすゞさんが長門市に暮らしていた頃も、この時期、その花の香りが漂っていたんですね。萩市の夏みかんの花の香りは「香り100選」にも選ばれているほど、街に漂う甘い香り。泣いてすねている時にも香ってくるそのにおい、花は気持ちを分かってくれていたのでしょうか。砂の王国
金子みすゞ私はいま、
砂のお国の王様です。
お山と、谷と、野原と、川を、
おもう通りに変えてゆきます。
お伽ばなしの王様だって、
じぶんの国のお山や川を、
こんなに変えはしないでしょう。
私はいま、
ほんとにえらい王様です。
ちひろのコメント
砂あそびは、ほとんどの人が経験した幼いころの遊びですね。子ども心の素晴らしさ、それはその世界に入り切っているということです。決して精密に作り上げているわけではない砂を掘った川、盛り上げた山、それを見事な地形に作り上げている気持ち、王様級です。この気持ちは、子どもの特権ですね!大人になったら、そこは、謙虚に。ですね(笑)
「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ
ちひろのコメント
子どもの心は本当に夢いっぱいですね。着ている洋服の模様から夢の世界へと広がっていく。果てしない心の旅を楽しむ達人です。「外出着(よそゆき)」という言葉、今でも使うのでしょうか、とても懐かしい響きに感じます。たまにはと、よそゆきで寝ることを許したら、かえってわくわくしすぎて眠れなくなるかもしれませんね。やっぱり、寝るときはねまきが一番でしょう。そう思うのも、大人の心なのでしょうか(笑)