misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

角(かど)の乾物屋(かんぶつや)の     ――わがもとの家、まことにかくありき――
                  金子みすゞ
角(かど)の乾物屋(かんぶつや)の
塩俵(しおだわら)、
日ざしがかっきり
もう斜(ななめ)。

二軒目(にけんめ)の空家(あきや)の
空俵、
捨(す)て犬ころころ
もぐれてる。

三軒目の酒屋の
炭俵、
山から来た馬
いま飼葉(かいば)。

四軒目の本屋の
看板(かんばん)の、
かげから私(わたし)は
ながめてた。
ちひろのコメント
金子みすゞさんの実家、現在の金子みすゞ記念館が、この四軒目の本屋です。みすゞ通りとなった、このみすゞさんが詠っている通りに並ぶお店。ぜひ、皆さんもこのみすゞさんのように、記念館に行かれたら、今もかかっている看板越しに、北のほうを眺めてみてください。この詩碑が建っています。
2022/08/29の詩

お月さん
                  金子みすゞ
夜あけのお月さん
山のきわ。
籠(かご)に飼(か)われた白い鸚鵡(おうむ)、
ねとぼけお眼(めめ)でひょいと見て、
おうやおや、お連(つ)れだ、呼(よ)ぼうかな。

昼間のお月さん
沼(ぬま)の底。
麦藁(むぎわら)帽子(しゃっぽ)の子供(こども)が岸で、
釣竿((つりざお)かまえて睨(にら)めてた。
すてきだ、釣(つ)ろうか、かかるかな。

日ぐれのお月さん
枝(えだ)のなか。
くちばし赤い小鳥が一羽、
お眼くりくりみはってた。
とっても、熟(う)れたぞ、つつこかな。
ちひろのコメント
金子みすゞさんの大好きなお月さまのお話ですが、とってもかわいいリズムがありますね。
いろんな詩に表現されているお月さまですが、みすゞさんの心には、とても親近感のある、距離の近いお月さまが描かれているものが多いように思います。それはきっと、お月さまともっと近く心通わせたい、大好きなお月さまと仲良しになりたい、そんな可愛い願いが映し出されているような気もします。
2022/08/22の詩

万倍
                  金子みすゞ
世界中の王様の、
御殿(ごてん)をみんなよせたって、
その万倍もうつくしい。
――星で飾(かざ)った夜の空。

世界中の女王様の、
おべべをみんなよせたって、
その万倍もうつくしい。
――水に映(うつ)った朝の虹(にじ)。

星でかざった夜の空、
水にうつった朝の虹、
みんなよせてもその上に、
その万倍もうつくしい。
――空のむこうの神さまのお国。
ちひろのコメント
金子みすゞさんにとって、空のむこうというのは、この世を終えて行ける、美しい場所、素晴らしいところ、そんな思いがいろんな詩から伺えます。「お仏壇」という詩も、この世でいい子にしていたら、御殿のようなお仏壇の御門を通ることが出来る、そんな思いを詠っていますが、その先には、空の向こうには仏様や神様の国がある。その想像はいつも美しいままです。みすゞさんの心は、ずっとずっと先まで、美しく繋がっているように感じますね。
2022/08/15の詩

舟(ふね)の唄(うた)
                  金子みすゞ
わたしは若(わか)い舟だった。
あの賑(にぎ)やかな舟(ふな)おろし、
五色の旗にかざられて、
はじめて海にのぞむとき、
限(かぎ)り知られぬ波たちは、
みんな一度にひれ伏(ふ)した。

わたしは強い舟だった。
嵐(あらし)も波も渦潮(うずしお)も、
荒(あ)れれば勇む舟だった。
銀の魚(さかな)を山と積(つ)み、
しらしら明けに戻(もど)るときゃ、
勝った戦士(せんし)のようだった。

わたしも今は年老(お)いて、
瀬戸(せと)ののどかな渡(わた)し舟。
岸の藁屋(わらや)の向日葵(ひまわり)の、
まわるあいだをうつうつと、
眠(ねむ)りながらもなつかしい、
むかしの夢(ゆめ)をくりかえす。
ちひろのコメント
仙崎の海の「瀬戸」を行ったり来たりする渡し舟が、むかしを懐かしんでいる物語。とても素敵ですね。人間と同じように、年を重ねている。金子みすゞさんが暮らしていた頃の、まだ橋がかかっていない仙崎の海の光景が目に浮かぶようです。
2022/08/08の詩

わらい
                  金子みすゞ
それはきれいな薔薇(ばら)いろで、
芥子(けし)つぶよりかちいさくて、
こぼれて土に落ちたとき、
ぱっと花火がはじけるように、
おおきな花がひらくのよ。

もしも泪(なみだ)がこぼれるように、
こんな笑いがこぼれたら、
どんなに、どんなに、きれいでしょう。
ちひろのコメント
私はこの詩を読むと、みすゞさんの涙を思い浮かべてしまいます。みすゞさんがお庭を見つめながら、1人涙をこぼしている。誰にも心の内を明かせずに、悲しい寂しい気持ちが小さな涙のつぶとなって、落ちていく。その悲しい粒が「笑い」だったら、と、なんだか切なくなってくるのです。この詩を読んで、その思いに寄り添うことで、みすゞさんの心が少しは和らぐと嬉しいな、と思いながら。
2022/08/01の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796

金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

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