misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
茶碗(ちゃわん)とお箸(はし)
金子みすゞお正月でも
花ざかり、
私(わたし)の紅絵(べにえ)のお茶碗は。
四月が来ても
花咲(さ)かぬ、
私のみどりのお箸(はし)には。
土曜日曜
金子みすゞ土曜は葉っぱ、
日曜は花よ。
柱ごよみの
葉(は)っぱをちぎる、
土曜の晩(ばん)は
たのしいものよ。
お花はじきに
しぼむものよ。
柱ごよみの
お花をちぎる、
日曜の晩は
さみしいものよ。
ちひろのコメント
面白い表現です。お楽しみがいっぱいの日曜日の前が葉っぱで、花が咲く日曜日。小学生の頃、日曜日の夕方あたりから、だんだんさみしくなっていたなぁと、思い出す詩です。金子みすゞの詩は、忘れかけていた子ども心を思い出させてくれますね。その時間が、とても心和むひとときです。魚売りの小母(おば)さんに
金子みすゞ魚売りさん、
あっち向いてね、
いま、あたし、
花を挿(さ)すのよ、
さくらの花を。
だって小母さん、あなたの髪(かみ)にゃ、
花かんざしも
星のよなピンも、
なんにもないもの、さびしいもの。
ほうら、小母さん、
あなたの髪に、
あのお芝居(しばい)のお姫(ひめ)さまの、
かんざしよりかきれいな花が、
山のさくらが咲(さ)きました。
魚売りさん、
こっち向いてね、
いま、あたし、
花を挿(さ)したの。
さくらの花を。
ちひろのコメント
お仕事中は着飾ることはしないおばさんの様子。子どもはいつも綺麗でいてほしい大人の女性像があるのでしょうか。忙しくてオシャレなんかしてられない、そんな大人事情は、子どもにはさびしく映るのかもしれません。春のお花の彩りに、ちょっと助けてもらいましょう。このみち
金子みすゞこのみちのさきには、
大きな森があろうよ。
ひとりぼっちの榎(えのき)よ、
このみちをゆこうよ。
このみちのさきには、
大きな海があろうよ。
蓮池(はすいけ)のかえろよ、
このみちをゆこうよ。
このみちのさきには、
大きな都があろうよ。
さびしそうな案山子(かかし)よ、
このみちを行こうよ。
このみちのさきには、
なにかなにかあろうよ。
みんなでみんなで行こうよ、
このみちをゆこうよ。
ちひろのコメント
卒業シーズンに贈りたい金子みすゞの詩のひとつ。校長先生から卒業生に贈られるメッセージとしても選ばれています。卒業しても、ずっとずっとみんな一緒だよ、それぞれの道だけど、みんな同じ志で歩んでいるよ、一人じゃないよ。そんな思いが重なります。卒業される皆さん、ご卒業おめでとうございます。これからも、みんなでゆこうよ、このみちをゆこうよ、です。赤い靴
金子みすゞ空はきのうもきょうも青い、
路はきのうもきょうも白い。
溝(みぞ)のふちにも花が咲(さ)いた、
小(ち)さいはこべの花が咲いた。
坊(ぼう)やもべべがかろくなって、
一足、二足、あるき出した。
一足踏(ふ)んでは得意(とくい)そうに、
笑う、笑う、声を立てて。
買ったばかしの赤い靴で、
坊や、あんよ、春が来たよ。
ちひろのコメント
大好きな詩です。春が来る喜びと、坊やが歩き出す喜びが、春の薄青い空に広がります。小さな小さなはこべの花も、きっと一緒に喜んでいます。春は、小さな喜びがいっぱい。さぁ、私たちのそれぞれの春の小さな花が咲き始める春を、共に喜び合いましょう。そして、新しい4月を迎えましょう。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
皆さんは、子どもの頃の自分の食器、ごはん茶碗やお箸、こだわりがありましたか?自分のお気に入りもあったかもしれませんが、この「私」のみどりのお箸、本当はお花模様がいいなと思っていたのかも、我慢していたのかもしれませんね。花咲く季節の4月、自分の持ち物にも花が咲いてほしい、そんな可愛い気持ちに、応えてあげたくなりますね。