misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
朝蜘蛛(あさぐも)
金子みすゞ朝から朝蜘蛛(あさぐも)さがったし、
朝からなんだかうれしいし、
きっと、今日こそ来るでしょう。
お母さまも知らないが、
生きて、遠くに棲(す)んでいる、
お父さまのおむかえが。
すぐに、私(わたし)は髪(かみ)結(ゆ)うて、
好きな手毬(てまり)のおべべ着て、
赤いお馬車に乗るでしょう。
赤いお馬車のゆくみちは、
白い芒(すすき)のみちでしょう、
野菊(のぎく)もちいさく咲いてましょう。
旗のたってる小(ち)さい村、
鐘(かね)の鳴ってる寺のまえ、
しめった、暗い森のなか。
そして、夕焼消えるころ、
むこうのむこうに城(しろ)のよな、
大きなお家がみえるでしょう。
お父さまは待ちきれず、
門から駈(か)けてくるでしょう、
私も馬車から飛ぶでしょう。
私は「父さま」と呼(よ)ぶでしょう、
いやいや、黙(だま)っているでしょう、
あんまり、あんまり、嬉(うれ)しくて。
朝からなんだかうれしいし、
朝から朝蜘蛛(あさぐも)さがったし、
きょうは、何かがあるでしょう。
なまけ時計
金子みすゞ柱時計のいうことにゃ、
きょうは日曜、菊日和(きくびより)、
旦那(だんな)さんの役所も休みなら、
坊(ぼっ)ちゃん、嬢(じょっ)ちゃん、みンな休み。
あたしばかりがチック、タク、
かせぐばかしでつまらない、
ひとつ、昼寝(ひるね)と出かけよか。
なまけ時計はみつかって、
きりきり、ねじをねじられて、
ごめん、ごめんと鳴り出した。
ちひろのコメント
そう言えば、時計はずっとずっと正確に時間を刻んでいます。少しばかり怠けたくなっても、許してあげたいくらいです。「ごめん、ごめん」と聞こえる時計の音が、なんとも言えませんね。いつも休みなしに動いてくれてありがとう。雨の日
金子みすゞ色紙を野原いっぱい
撒(ま)きましょう。
枯野(かれの)を春に
変えましょう。
色紙をちょきんちょきんと
剪(き)りました。
あした日和(ひより)に
なったら、と。
色紙を日ぐれに誰(だれ)か
棄(す)てました。
わすれて銀杏(ぎんなん)
してるまに。
ちひろのコメント
枯野を彩るために頑張って切った色紙。でもその翌日、雨が降ってしまったんですね。お家で銀杏の皮を剥くのを頑張ってお手伝いして、夢中になっている間に、誰かがきっとゴミかなと思って捨ててしまったようです。雨が降らなかったら、ちゃんと撒けたであろう色紙。この詩は、タイトルが、あとからじんわり伝わってくる、そんなセンスがあります。詩の中には雨という言葉がないのですが、読み終わって、もう一度タイトルを読むと、そういうことか、と思うんですね。金子みすゞさんのセンスがさり気なく光る詩です。みえない星
金子みすゞ空のおくには何がある。
空のおくには星がある。
星のおくには何がある。
星のおくにも星がある。
眼(め)には見えない星がある。
みえない星はなんの星。
お供(とも)の多い王様の、
ひとりの好きなたましいと、
みんなに見られた踊(おど)り子の、
かくれていたいたましいと。
ちひろのコメント
今、この地球の周りをほんの2か月弱回っている小惑星がありますが、その大きさはわずか10メートル!見えない星です。私たちは人目に触れなかったり、影になっている存在を、本当は見えた方がいいのではと心寄せたりしますが、この詩を読んでいると、そうか、見られたくない思いも大切にしたいなと、気づかされます。今の時代、みんなが見える場所での活躍を助長しがちですが、見えない場所での活躍を望む心があることを忘れてはいけないなと思います。木の葉のボート
金子みすゞ木の葉のボートに乗ってゆく、
黒い子蟻(こあり)は探検家(たんけんか)。
青いボートではるばると、
海のあなたへ出かけます。
海のあなたのはなれ島、
砂糖のお山、蜜(みつ)の川、
そうして怖(こわ)い鳥もいず
蟻の地獄(じごく)もないとこを。
青いボートでただひとり、
これから尋(たず)ねに出かけます。
ちひろのコメント
私たちにはすぐそこに見えるものも、蟻にとっては彼方に見える大冒険スペクタクル。私たちの日常も、もっと大きな存在からしたら、こんな風に見えているかもと、ふと思う時もあります。金子みすゞさんは日々、いつもこの「視点の遊び」の持ち主ですね。これは客観的に自分を見つめるまなざしにも繋がってきて、大切な感覚ですね。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ
ちひろのコメント
この詩を知ってからは、朝、蜘蛛を見かけると嬉しくなります。(小さい蜘蛛に限りますが・・・大きい蜘蛛はちょっと怖いです(笑))みすゞさんが2歳の時にお父さんは満洲で亡くなりました。なので、お父さんの記憶のないみすゞさん。詩に登場するお父さんは、とても切なく映ります。この詩は特に、切ないです。この寂しさを抱えている心が、今もどこかで在ることを、忘れないでいたいです。