misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
かくれんぼう
金子みすゞかくれんぼう、かあくれた。
太郎(たろう)も、次郎も、かあくれた。
裏戸(うらど)にしょんぼり、鬼(おに)ばかり。
(向日葵(ひまわり)まわった、
五分(ごぶ)ほどまわった。)
かくれんぼう、何してる。
ひとりはお背戸(せど)の柿(かき)の木で、
青い柿の実むしってる。
ひとりは日ぐれの台所、
お鍋(なべ)の湯気(ゆげ)でも眺(なが)めてる。
そして鬼さん、何してる。
らっぱの音で飛んで出て、
お馬車へついて行っちゃった。
裏戸に立つは桐(きり)の木の
静かに、たかい、影(かげ)ばかり。
水すまし
金子みすゞ一つ水の輪、一つ消え、
三つまわれど、みな消える。
水にななつの輪を描(か)けば、
魔法(まほう)は泡(あわ)と消えよもの。
お池のぬしに囚(とら)われの
いまの姿(すがた)は、水すまし。
きのうもきょうも、青い水、
雲は消えずに映(うつ)るけど、
一つ、二つと水の輪は、
一つあとから消えてゆく。
ちひろのコメント
夏の季語でもある「水すまし」。なんでも、4つの目を持っていて、同時に水上と水中を同時に見ることが出来るとか。でもみすさんの想像力は本当に楽しいですね。水すましは魔法がかけられた仮の姿で、七つの輪を描けたら魔法が解けると。何気ない風景に、独特の物語を描くみすゞさんの感性。夏休みの自由研究に、こうした物語を描くのも、面白いと思います。波の子守唄(こもりうた)
金子みすゞねんねよ、ねんね、ざんぶりこ、
ざんぶり、ざぶりこ、ねんねしな。
海の底では貝の子が、
藻(も)のゆりかごでねんねした。
ねんねよ、ねんね、ざんぶりこ、
お十五夜(じゅうごや)さま、もう高い。
海の渚(なぎさ)じゃ蟹(かに)の子が、
砂(すな)のお床(とこ)でねんねした。
ざんぶり、ざぶりこ、ねんねしな、
あけの明星(みょうじょ)の白(しら)むまで。
ちひろのコメント
波に揺られる海の生き物たちの、なんとも気持ちのいい様子が浮かび上がってくる子守歌。私が作曲し歌にしている詩でもありますが、みすゞさんは、一人娘のふさえさんを寝かしつける時も、優しい声で子守歌を歌ってあげていたんだろうなぁと、いろんな想像が膨らみます。空のむこうでは、もしかしたら、今、子どもにかえったふさえさんが、みすゞさんに子守歌を歌ってもらっているかもしれませんね。失(な)くなったもの
金子みすゞ夏の渚(なぎさ)でなくなった、
おもちゃの舟(ふね)は、あの舟は、
おもちゃの島へかえったの。
月のひかりのふるなかを、
なんきん玉の渚まで。
いつか、ゆびきりしたけれど、
あれきり逢(あ)わぬ豊(ほう)ちゃんは、
そらのおくにへかえったの。
蓮華(れんげ)のはなのふるなかを、
天童たちにまもられて。
そして、ゆうべの、トランプの、
おひげのこわい王さまは、
トランプのお国へかえったの。
ちらちら雪のふるなかを、
おくにの兵士にまもられて。
失(な)くなったものはみんなみんな、
もとのお家へかえるのよ。
ちひろのコメント
この詩に出てくる豊ちゃんは、みすゞさんの大親友だった田辺豊々代さんだと言われています。22歳の時にお別れした親友。みすゞさんにとって、こうして作品に刻むことが、何よりの絆の形だったことでしょう。失くなったものは、みんなもとのお家へ帰る・・・お盆の時期に、ふと、この詩を想うのでした。お堀(ほり)のそば
金子みすゞお堀のそばで逢(お)うたけど、
知らぬかおして水みてた。
きのう、けんかはしたけれど、
きょうはなんだかなつかしい。
にっと笑ってみたけれど、
知らぬ顔して水みてた。
笑った顔はやめられず、
つッと、なみだも、止(と)められず、
私(わたし)はたったとかけ出した、
小石が縞(しま)になるほどに。
ちひろのコメント
夏休みは久しぶりに会ういとこ同士で喧嘩が始まっちゃった・・・なんてこともあるでしょう。心の中ではすぐに仲直りしたいけど、素直になれない心の裏表。この詩の最後の「小石が縞になるほどに。」という表現が見事ですよね。それだけ走って走って行く姿が浮かんできます。こんな気持ちになる前に、『こだまでしょうか』の詩のような「ごめんね」がこだまし合いますように。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
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金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
かくれんぼの時間の経過を、「向日葵が五分ほどまわった」、と表現する感性が素敵だなと思うのです。じーっと動かずに佇み隠れている中で、向日葵がお日様に向かってちょっとだけ動いた、そこを描写する時間の表現。すごい、と思い、読み進めると、なんてことない、みんなかくれんぼを忘れて、目の前のものに心を奪われています。木の影だけがじっとして佇んでいる結末。コロコロ変わる、子ども心を描いた面白い光景です。