misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
闇夜の星
金子みすゞ闇夜の星
闇夜に迷子の
星ひとつ。
あの子は
女の子でしょうか。
私のように
ひとりぼっちの、
あの子は
女の子でしょうか。
不思議(ふしぎ)
金子みすゞ私(わたし)は不思議でたまらない、
黒い雲からふる雨が、
銀(ぎん)にひかっていることが。
私は不思議でたまらない、
青い桑(くわ)の葉たべている、
蚕(かいこ)が白くなることが。
私は不思議でたまらない、
たれもいじらぬ夕顔(ゆうがお)が、
ひとりでぱらりと開(ひら)くのが。
私は不思議でたまらない、
誰(たれ)にきいても笑ってて、
あたりまえだ、ということが。
ちひろのコメント
この詩は私が作曲し歌っている歌のひとつです。この不思議があるからこそ、私たちは日々楽しく生きていられるのかなぁと思います。不思議だなぁ、なんでだろう、おもしろいなぁ、そんな曖昧なことが沢山あるから、希望があるような気がします。だから、大人が「あたりまえだ」と言っちゃうと、子どもは一番つまらない。なんでそんなつまらないことを大人は言うの?さぁ、日々楽しく、子ども達が希望を持って過ごせる毎日を送りましょう♪りこうな桜(さくら)んぼ
金子みすゞとてもりこうな桜んぼ、
ある日、葉かげで考える。
待てよ、私(わたし)はまだ青い、
行儀(ぎょうぎ)のわるい鳥の子が、
つつきゃ、ぽんぽが痛(いた)くなる、
かくれてるのが親切だ。
そこで、かくれた、葉の裏(うら)だ、
鳥も見ないが、お日さまも、
みつけないから、染(そ)め残す。
やがて熟(う)れたが、桜んぼ、
またも葉かげで考える。
待てよ、私を育てたは、
この木で、この木を育てたは、
あの年とったお百姓(ひゃくしょう)だ、
鳥にとられちゃなるまいぞ。
そこで、お百姓、籠(かご)もって、
取りに来たのに、桜んぼ、
かくれてたので採り残す。
やがて子供が二人来た、
そこでまたまた考える。
待てよ、子供は二人いる、
それに私はただ一つ、
けんかさせてはなるまいぞ、
落ちない事が親切だ。
そこで、落ちたは夜夜中(よるよなか)、
黒い巨(おお)きな靴(くつ)が来て、
りこうな桜んぼを踏(ふ)みつけた。
ちひろのコメント
なんとも哀れな結末です。でも読み終えた後に、なんだかみすゞさんの言葉が聞こえてくるようです。「考えすぎは良くないよ」と。あまりにも先を読みすぎるよりも、自分の状況をそのまま受け入れてその中で自分のなるべき姿になっていたほうが、誰かのためになる一生を終えていたのかもしれません。誰にも先のことは分からないのであれば、後悔しない生き方をしたいものです。あれ、そう思うと、この桜んぼは、後悔はしていないかもしれませんね。さて、あなたはどう感じましたか。野茨(のばら)の花
金子みすゞ白い花びら
刺(とげ)のなか、
「おうお、痛(いた)かろ。」
そよ風が、
駆(か)けてたすけに
行ったらば、
ほろり、ほろりと
散りました。
白い花びら
土の上、
「おうお、寒かろ。」
お日さまが、
そっと、照らして
ぬくめたら、
茶いろになって
枯(か)れました。
ちひろのコメント
なかなかの「余計なお世話」話です。こうした詩があるのも、金子みすゞさんのおもしろい一面。そしてよく現実を見つめています。‘あの人のためだから’と思ったことも、それは大きなお世話だったりすることもありますね。心の距離感や度合い、色々とバランスというものが大切ですね。お菓子(かし)
金子みすゞいたずらに一つかくした
弟のお菓子。
たべるもんかと思ってて、
たべてしまった、
一つのお菓子。
母さんが二つッていったら、
どうしよう。
おいてみて
とってみてまたおいてみて、
それでも弟が来ないから、
たべてしまった、
二つめのお菓子。
にがいお菓子、
かなしいお菓子。
ちひろのコメント
これに似たような経験、あるような気がします。美味しいはずのお菓子も、にがいお菓子に感じてしまうほど、悲しくなってしまったんですね。食べてしまった罪悪感の方が上回ってしまう正直な心。このにがい気持ちの体験が、一つ成長した証ですね。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
とても短い詩の中の、暗い夜の空へと滲む寂しさです。私のように、と、同じ存在を探す思い。人は、自分だけがこんな思いをしている、と思うのと、あの人も同じ寂しい思いなんだ、とでは、寂しさの我慢もかなり違ってきます。人は孤独を感じることが何より寂しく、つらいことのように思います。みすゞさんはこの詩を詠んだ時、どんな寂しさを想ったのでしょう。