misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
花屋の爺(じい)さん
金子みすゞ花屋の爺さん
花売りに、
お花は町でみな売れた。
花屋の爺さん
さびしいな、
育てたお花がみな売れた。
花屋の爺さん
日が暮(く)れりゃ、
ぽっつり一人で小舎(こや)のなか。
花屋の爺さん
夢(ゆめ)にみる、
売ったお花のしやわせを。
青い空
金子みすゞなんにもない空
青い空、
波のない日の
海のよう。
あのまん中へ
とび込(こ)んで、
ずんずん泳いで
ゆきたいな。
ひとすじ立てる
白い泡(あわ)、
そのまま雲に
なるだろう。
ちひろのコメント
雲ひとつない青空は、どうしてあんなに気持ちいいのでしょう。見つめるだけで、気持ちがすーーっと溶け込む感じです。その中をずんずん泳ぐ。もう一人の自分が青空の中をずんずん泳いでいるのを見つめてみると、なんだかとてもおもしろい。そのまま飛行機雲と一緒に、自分のたてた泡が雲になったら、なんだか嬉しいですね。月の出
金子みすゞだまって
だまって
ほうら、出ますよ。
お山の
ふちが
ぼうっと明るよ。
お空の
底(そこ)と
海の底とに、
なにか
光が
溶(と)けていますよ。
ちひろのコメント
日の出はじーっと見て写真を撮って、ということもよくありますが、月の出はなかなかそうしたことをしませんね。でも、みすゞさんのこの詩を読むと、月がゆっくりゆっくり出てくる様子を、だまって、だまって、じーっと見つめる、その瞬間を楽しんでいる気もちになります。光が溶けているというこの描写も素敵ですね。忙しい時間帯の月の出の頃。たまにはじっくり眺めるのも、いいですね。魚の嫁(よめ)入り
金子みすゞさかなの姫(ひめ)さまお嫁入り、
むこうの島までお嫁入り。
島までつづいたお行列、
ぎんぎら、ぎんぎら、銀かざり。
島の上にはお月さま、
提灯(ちょうちん)ともしておむかえよ。
さてもみごとなお行列、
海のおもてをねってゆく。
ちひろのコメント
夜の暗い海の水面に、キラキラと反射し輝く月の光。それがむこうの島までずーっと繋がっているように見え、なんとも美しい光景が浮かびます。その海の中ではずらずらと魚の行列を描くみすゞさん。素敵な世界ですね。水面ぎりぎりに泳ぐ、長いめでたい行列がそこには見えてきますね。忘(わす)れた唄(うた)
金子みすゞ野茨(のばら)のはなの咲いている、
この草山にきょうも来て、
忘れた唄をおもいます。
夢(ゆめ)より遠(とお)い、なつかしい、
ねんねの唄をおもいます。
ああ、あの唄をうとうたら、
この草山の扉(と)があいて、
とおいあの日のかあさまを、
うつつに、ここに、みられましょ。
きょうも、さみしく草にいて、
きょうも海みておもいます。
「船はしろがね、櫓(ろ)は黄金(こがね)」
ああ、そのあとの、そのさきの、
おもい出せないねんね唄。
ちひろのコメント
ふと昔なつかしい子どもの頃を思い出す、そんな時ってありますね。みすゞさんは16歳のとき、お母さんが親戚の家に後妻として移り住み、父親も2歳の時に亡くなっています。色々とさみしい時も多かったことでしょう。それを重ねてこの詩を読むと、とても切ないねんね唄が遠くで思われます。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
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金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ
ちひろのコメント
先日、KRYラジオ「ちひろDEブレイク」の特別番組の中でもご紹介した詩。矢崎節夫館長が語られました「嬉しくて、さびしいの。」と。「嬉し寂しさ」。お花が自分から離れていった寂しさは、お花を買った人たちの喜びと、お花が気に入られて愛でられて幸せになることの裏返し。自分の寂しさは相手の幸せ。「嬉し寂しさ」。この寂しけれど嬉しい気持ち、今私たちはこのような気持ちを忘れていませんか。もっと、いろんな出会いと別れを、このように静かに思えたら、その「出来事」もとっても嬉しいと思います。