misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
日永(ひなが)
金子みすゞ山から
山を
雲のかげは。
枝(えだ)から
枝へ
春の鳥は。
空から
空を
その子の瞳(めめ)は。
空より
そとを
日なかの夢(ゆめ)は。
空の鯉(こい)
金子みすゞお池の鯉よ、なぜ跳ねる。
あの青空を泳いでる、
大きな鯉になりたいか。
大きな鯉は、今日ばかり、
明日はおろして、しまわれる。
はかない事をのぞむより、
跳ねて、あがって、ふりかえれ。
おまえの池の水底に、
あれはお空のうろこ雲。
おまえも雲の上をゆく、
空の鯉だよ、知らないか。
ちひろのコメント
この詩も大好きな詩の一つです。今の時代、インターネットの世界が頭を支配している錯覚を起こすほどに影響力が強く、心のバランスを崩しがちな方も多い世の中です。この詩で金子みすゞさんが伝えたい思い。自分の生きているフィールドをもっとよく見てごらん、他人と比べるのではなく、自分を見つめ、自分の世界を精一杯生きてごらん、あなたは素晴らしい一人なんだよと、聴こえてくる気がします。蜂(はち)と神さま
金子みすゞ蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀(どべい)のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。
そうして、そうして、神さまは、
小ちゃな蜂のなかに。
ちひろのコメント
金子みすゞの代表作と呼ばれる一つ。かつてローマ法王がこの詩を知った時、「日本にはなんてすばらしい詩人がいるのでしょうか」と涙されたというエピソードが残っています。小さな心の中にも、無限に広がる宇宙がある。この詩を味わう時はいつも、私はミクロからマクロ、マクロからミクロへと視点が移ってもそこに同じ世界があることを感じます。明治36年生まれのみすゞさんが、あの時代にこうした心の旅が出来たことが、信じられないくらいに素晴らしいと感動します。まだまだ、みすゞさんから学ぶ人生、永遠に続きそうです。げんげの葉の唄
金子みすゞ花は摘(つ)まれて
どこへゆく。
ここには青い空があり、
うたう雲雀(ひばり)があるけれど、
あのたのしげなたびびとの、
風のゆくてが
おもわれる。
花のつけ根をさぐってる、
あの愛(あい)らしい手のなかに、
私を摘む手は
ないかしら。
ちひろのコメント
そういえば、と気づくのです。げんげ(れんげ)の花を摘むときに、葉っぱを見向きもしないことを。花ばかりに目がいっていますね。その時の葉っぱの気持ちを金子みすゞさんは詠います。こうした思いやりの気持ちは、人と人の心を繋ぐとても大切な眼差しですね。長年みすゞさんの詩を味わっていても、いつも新鮮な思いで気づかされるということは、やっぱり人間は忘れっぽいということです。人生の道標。金子みすゞ生誕120年の今年、改めて、みすゞさん、ありがとう。お魚の春
金子みすゞわかいもずくの芽がもえて、
水もみどりになってきた。
空のお国も春だろな、
のぞきに行ったらまぶしいよ。
飛び魚小父(おじ)さん、その空を、
きらっとひかって飛んでたよ。
わかい芽が出た藻(も)のかげで、
ぼくらも鬼(おに)ごとはじめよよ。
ちひろのコメント
海も、空も、そして人間も、魚も、みーんな春。春はなんだか心が弾む。飛び魚もジャンプ!嬉しい春を満喫したいものです。金子みすゞさんの詩の言葉の表現の中に、度々「・・・しよよ」という、可愛い表現が出てきますが、これがまた心をくすぐります。皆さんの春、どんなところに感じますか。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
春の日永に、のんびりした時間が過ぎていきます。お昼寝の時間には、夢は空よりも向こうの世界へと漂っています。いいですね、この、春の匂いも感じるのんびりした空気感。忙しい日々の、束の間の心の旅。金子みすゞさんにご案内していただきましょう。