misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
人なし島
金子みすゞ人なし島にながされた、
私(わたし)はあわれなロビンソン。
ひとりぼっちで、砂(すな)にいて、
はるかの沖(おき)をながめます。
沖は青くてくすぼって、
お船に似(に)てる雲もない。
きょうも、さみしく、あきらめて、
私の岩窟(いわや)へかえりましょ。
(おや、誰(だれ)かしら、出て来ます、
水着着た子が三五人。)
百枚(ひゃくまい)飛(と)ばして、ロビンソン、
めでたくお国へつきました。
(父さんお昼寝(ひるね)、さめたころ、
お八つの西瓜(すいか)の冷えたころ。)
うれしい、うれしい、ロビンソン、
さあさ、お家へいそぎましょ。
虹(にじ)と飛行機
金子みすゞ町の人ははじめて
虹を見た、
飛行機見に出て
虹をみた。
しぐれの空から
飛行機は、
虹の輪のなかへと
急いでる。
わかった、
わかった、
飛行機は、
町の人に
この虹
みせようと、
虹から
つかいに
来たんだよ。
ちひろのコメント
虹を見るとなんだか幸せが訪れるようなそんな気持ちになりますね。飛行機を見に出て来たことで、虹を見ることが出来たことを、飛行機は虹からつかいにやって来たと、そんな素敵な表現をする金子みすゞさん。実は私たちは知らず知らずのうちに、何かのおつかいをしているのかもしれませんね。漁夫(りょうし)の小父(おじ)さん
金子みすゞ漁夫(りょうし)の小父(おじ)さん、その舟(ふね)に、
私(わたし)をのせて下さいな。
ほらほら、向こうにみえている、
きれいな雲がむくむくと、
海から湧(わ)いてるところまで、
私と行って下さいな。
ひとつきりしきゃないけれど、
私のお人形あげましょう。
それから、金魚もあげましょう。
漁夫の小父さん、その舟に、
私をのせて下さいな。
ちひろのコメント
みすゞさんが小さいころ、いつも港を見て育っている光景が浮かんできますね。海の向こうへ漁に出るおじさんたちがいいなぁいいなぁと思う様子。自分の持っている大切なものをあげるから、連れて行ってと思う気持ち。とても純粋だと思います。大人は、自分の大切なものをあげるから、と、素直に思えない心になっていますよね。
こうして子どもの純粋な姿を詩から味わうと、自分の中の「子ども」に出会いますね。大切な「思い出す」ということ。童謡だからこそですよね。
浜(はま)の石
金子みすゞ浜辺の石は玉のよう、
みんなまるくてすべっこい。
浜辺の石は飛(と)び魚か、
投げればさっと波を切る。
浜辺の石は唄(うた)うたい、
波といちにち唄ってる。
ひとつびとつの浜の石、
みんなかわいい石だけど、
浜辺の石は偉(えら)い石、
皆(みんな)して海をかかえてる。
ちひろのコメント
この詩のまなざしもハッとさせられます。浜辺に立ち、海を眺める時、浜辺の石が海を抱えているという観点になったことがあるでしょうか。私はこの詩を知るまで、その見かたになったことはありませんでした。これがみすゞさんですね。そして大切な眼差し。
ちょっと視点を変えてみることがいつも出来れば、この世の中は優しさでいっぱいになります。そうした視点をかえる「みすゞさんごっこ」な気分で世の中を見つめるのも、おもしろいと思いますよ♪
瀬戸(せと)の雨
金子みすゞふったり、止(や)んだり、小ぬか雨、
行ったり、来たり、渡し舟。
瀬戸で出逢(であ)った潮(しお)どうし、
「こんちはお悪いお天気で。」
「どちらへ」
「むこうの外海へ。」
「私(わたし)はあちらよ、さようなら。」
なかはくるくる渦(うず)を巻(ま)く。
行ったり、来たり、渡し舟、
降(ふ)ったり、止んだり、日が暮(く)れる。
ちひろのコメント
金子みすゞさんの故郷、長門市仙崎の北端と青海島の大泊までの間の瀬戸を詠っています。みすゞさんが詠った当時は、手こぎ舟だったそうです。舟どうしの会話ではなく、潮どうしの会話なのがおもしろい。潮は渡し船によってくるくる渦を巻いている。むこうへ行けるのか、あちらへ行けるのか、さよならしてもくるくるそこで、渦を巻く。最後は日が暮れています。なんだか、それでもずっとくるくるしている潮が、可愛く思えてきます。
「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ
ちひろのコメント
子ども心の移り変わりの可愛い世界がこの詩にもあります。一人でさみしい気持ちから、おやつの西瓜を思い出すと途端に嬉しくなってお家へ帰る。この見事な心の切り替えは、たくさんの幸せを運んできますね。