misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

知らない小母(おば)さん
                  金子みすゞ
ひとりで杉垣(すぎがき)
のぞいていたら、
知らない小母(おば)さん
垣の外通(とお)った。

小母さんって呼(よ)んだら
知ってるよに笑った、
私(わたし)が笑ったら
もっともっと笑った。

知らない小母さん、
いい小母さんだな、
花の咲(さ)いた柘榴(ざくろ)に
かくれて行ったよ。
ちひろのコメント
通りすがりの子どもたちが時々こちらを伺っている時ってありますよね。そんな時、皆さんはどんな表情を浮かべていますか。きっと子どもたちは自分たちが過ごしている場所にいる大人が、嬉しい笑顔で自分を見ていてくれたら、とっても安心すると思います。知らないもの同士でも、心の通い合いの瞬間を大切にしたいものですね。
2023/07/10の詩

朝顔の蔓(つる)
                  金子みすゞ
垣(かき)がひくうて
朝顔は、
どこへすがろと
さがしてる。

西もひがしも
みんなみて、
さがしあぐねて
かんがえる。

それでも
お日さまこいしゅうて、
きょうも一寸(いっすん)
また伸(の)びる。

伸びろ、朝顔、
まっすぐに、
納屋(なや)のひさしが
もう近い。
ちひろのコメント
小学校の頃の夏休みの課題のひとつが朝顔を育てることでした。懐かしく思い出されます。自分の朝顔の花が何色になるのか、それはワクワクしたものでした。今では、自分の育てている植物の伸びる場所を探す蔓を見たら、こっちだよとちょっと指で誘導してしまいます。それは過保護になるのかな。ついついやってしまう私です。
2023/07/03の詩

                  金子みすゞ
私(わたし)は雲に
なりたいな。

ふわりふわりと
青空の
果(はて)から果を
みんなみて、
夜はお月さんと
鬼(おに)ごっこ。

それも飽(あ)きたら
雨になり
雷(かみなり)さんを
供(とも)につれ、
おうちの池へ
とびおりる。
ちひろのコメント
子どもの空想は無限大。特に手の届かない空、雲、お月さまへの想いは果てしなく、みすゞさんも想像が尽きません。けれど、飽きたらおうちに帰ってくる。やっぱり帰るお家があるからこそ、安心して果てしない心の旅が出来るもの。いつも変わらない帰る場所があるって、幸せなことですね。
2023/06/26の詩

闇夜の星
                  金子みすゞ
闇夜の星

闇夜に迷子の
星ひとつ。
あの子は
女の子でしょうか。

私のように
ひとりぼっちの、
あの子は
女の子でしょうか。
ちひろのコメント
とても短い詩の中の、暗い夜の空へと滲む寂しさです。私のように、と、同じ存在を探す思い。人は、自分だけがこんな思いをしている、と思うのと、あの人も同じ寂しい思いなんだ、とでは、寂しさの我慢もかなり違ってきます。人は孤独を感じることが何より寂しく、つらいことのように思います。みすゞさんはこの詩を詠んだ時、どんな寂しさを想ったのでしょう。
2023/06/19の詩

不思議(ふしぎ)
                  金子みすゞ
私(わたし)は不思議でたまらない、
黒い雲からふる雨が、
銀(ぎん)にひかっていることが。

私は不思議でたまらない、
青い桑(くわ)の葉たべている、
蚕(かいこ)が白くなることが。

私は不思議でたまらない、
たれもいじらぬ夕顔(ゆうがお)が、
ひとりでぱらりと開(ひら)くのが。

私は不思議でたまらない、
誰(たれ)にきいても笑ってて、
あたりまえだ、ということが。
ちひろのコメント
この詩は私が作曲し歌っている歌のひとつです。この不思議があるからこそ、私たちは日々楽しく生きていられるのかなぁと思います。不思議だなぁ、なんでだろう、おもしろいなぁ、そんな曖昧なことが沢山あるから、希望があるような気がします。だから、大人が「あたりまえだ」と言っちゃうと、子どもは一番つまらない。なんでそんなつまらないことを大人は言うの?さぁ、日々楽しく、子ども達が希望を持って過ごせる毎日を送りましょう♪
2023/06/12の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
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金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

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