misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

花火
                  金子みすゞ
あがる、あがる、花火、
花火はなにに、
やなぎと毬(まり)に。

消える、消える、花火、
消えてはなにに、
見えない国の花に。
ちひろのコメント
お盆はご先祖様へ思いを馳せる大切な時期ですね。夏の花火や送り火など、この夏の風物詩もどこか、その空の向こう、見えない国へと消えていく、そんな思いになります。みすゞさんは、消えては向こうの花になると。素敵な素敵な夏の夜です。
2023/08/14の詩

空のあちら
                  金子みすゞ
空のあちらには何がある。

かみなりさんも知らないし、
入道雲も知らないし、
お日ィさまさえ知らぬこと。

空のあちらにあるものは、
海と山とが話したり、
人が烏(からす)になりかわる、
不思議な
魔法(まほう)の世界なの。
ちひろのコメント
金子みすゞさんの‘こうだといいな’が込められているような、そんな詩に感じます。海と山とが話しているという世界も素敵ですよね。みすゞさんの心にはきっと、この地球のいろんなもの同士が、会話をしている、そんな優しい気持ちがいつも存在しているのだと思います。それは決して幼稚なものではなくて、全てを慈しみ、尊いものとして見つめている眼差しだと思うのです。
2023/08/07の詩

なぞ
                  金子みすゞ
なぞなぞなァに、
たくさんあって、とれないものなァに。
  青い海の青い水、
  それはすくえば青かない。

なぞなぞなァに、
なんにもなくって、とれるものなァに。
  夏の昼の小(ち)さい風、
  それは、団扇(うちわ)ですくえるよ。
ちひろのコメント
なんて素敵な「なぞなぞ」でしょうか。これは金子みすゞさん自らが考えた「なぞなぞ」貴重です♪ぜひ、夏休みに子どもたちに出題してみてください。お洒落な「なぞなぞ」にみんなが驚くでしょう。そして、これはねと、金子みすゞさんの詩なんだよと、教えてあげたら、素敵な夏休みの思い出になるような気がします。日記に書いてくれるかもしれませんね。
2023/07/31の詩

梨(なし)の芯(しん)
                  金子みすゞ
梨(なし)の芯(しん)はすてるもの、だから
芯まで食(た)べる子、けちんぼよ。

梨の芯はすてるもの、だけど
そこらへほうる子、ずるい子よ。

梨の芯はすてるもの、だから
芥箱(ごみばこ)へ入れる子、お悧巧(りこう)よ。

そこらへすてた梨の芯、
蟻(あり)がやんやら、ひいてゆく。
「ずるい子ちゃん、ありがとよ。」

芥箱へいれた梨の芯、
芥取爺(ごみとりじい)さん、取(と)りに来て、
だまってごろごろひいてゆく
ちひろのコメント
なんとも皮肉な内容ですが、好きな詩のひとつです。人間の世界のルールやマナーは、蟻には関係なく、確かに人間がこぼした食べ物は蟻のご馳走です。ゴミとしてそのまま捨てられる芯と、蟻の命へと受け継がれる芯。そう思うと、生ゴミのリサイクルはやっぱりみんなに良いシステムなんだなぁと実感しますね。
2023/07/24の詩

行商隊(カラバン)
                  金子みすゞ
ひろいひろい砂漠(さばく)だ。
くろいくろいかげを、
うつして続くて行くのは、
行商隊(カラバン)だ、行商隊(からばん)だ。
――駱駝(らくだ)のむれはみな黒い、
  そうして脚(あし)が六つある。

あついあつい砂漠だ。
しんと照るまひるだ。
百里南は大海、
百里北には椰子(やし)の木。
――その椰子(やし)の木に咲(さ)く花は、
  はまなでしこの色してる。

山も谷も砂(すな)だ。
はても知れない砂漠だ。
しずかに黒くゆくのは、
行商隊(カラバン)だ、行商隊(カラバン)だ。
――あついまひるの砂浜(すなはま)の
  黒い小蟻(こあり)の行列だ。
ちひろのコメント
金子みすゞさんの詩の中では、珍しいリズムの詩です。みんなで朗唱したくなるようなリズムです。途中の「脚が六つ」で、え?とまず思い、椰子の木の花が「はまなでしこの色」のあたりで気づかせる表現。そして、最後にやっぱりね、と読み手の心情を見事にコントロールしてくれるみすゞさんの手法。自分がこう言ったら相手はこう思うだろう、その予測がみすゞさんは得意ですね。
2023/07/17の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796

金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

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