misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
舟乗(ふなのり)と星
金子みすゞ舟乗は星をみた、
星はいってた、
「おいでよ、おいで。」
波はずいぶん高かった。
舟乗の眼(め)はかがやいた。
風もおそれず、波もみず、
星へへさきを向けていた。
舟乗は岸へついてた、
知らぬまに。
「星か、星か、」とおもってた。
星はやっぱり遠かった。
舟乗をにがしたと、
波はなおさら怒(おこ)ってた。
老楓(ろうふう)
金子みすゞ年とった庭の楓(かえで)に
十一月のお日さまは、
ときが来たよ、といいました。
年とった庭の楓は
うつうつと昼寝(ひるね)していて
色づくことを忘(わす)れました。
新建ちのお倉の屋根が高いから
十一月のお日さまは
ちらとのぞいたきりでした。
年とった庭の楓の
青い葉は青いまんまで
しずかに散ってゆきました。
ちひろのコメント
年をとった楓に、とても優しいお日さまです。本当は色づいて、黄金色や真っ赤な色に染まってこその秋。でも年とって眠くて、すっかりそのことを忘れてしまう老楓。お日さまもそっとして見つめます。青いまんま、散ってもいい。それを静かにみつめる私たち。そのままにゆっくりと過ごす年があっても、いいのかなと思います。花のたましい
金子みすゞ散ったお花のたましいは、
み仏(ほとけ)さまの花ぞのに、
ひとつ残らずうまれるの。
だって、お花はやさしくて、
おてんとさまが呼(よ)ぶときに、
ぱっとひらいて、ほほえんで、
蝶々(ちょうちょ)にあまい蜜(みつ)をやり、
人にゃ匂(にお)いをみなくれて、
風がおいでとよぶときに、
やはりすなおについてゆき、
なきがらさえも、ままごとの
御飯(ごはん)になってくれるから。
ちひろのコメント
私が歌にしている詩の一つです。みすゞさんの心に映るお花の姿、花の見つめ方が、今年私が曲をつけた、みすゞさんと同じ時代を生きた歌人「九條武子」と重なります。そしてもう一人、同じ時代の小説家「林芙美子」もまた、花のいのちを詠っています。この時代に生きた女性にとって、女性も花開いて生きていきたいその強い思いと、その姿の美しい優しさ、強さと優しさを見つめていたのでしょうね。金魚
金子みすゞ月はいきするたびごとに
あのやわらかな、なつかしい
月のひかりを吐(は)くのです。
花はいきするたびごとに
あのきよらかな、かぐわしい
花のにおいをはくのです。
金魚はいきするたびごとに
あのお噺(はなし)の継子(ままこ)のように
きれいな宝石(たま)をはくのです。
ちひろのコメント
心の寂しさ、痛みを知っている継子の心。その心の美しさを金魚に重ねています。月も、花も、寂しさを知っているのでしょうか。人はそうした経験を重ねてやっと、いろんなことを知りますね。私たちも、息するたびごとに、きれいな心の声が出ているといいなぁと思います。巡礼(じゅんれい)
金子みすゞ菜種の花の咲(さ)いたころ、
浜街道(はまかいどう)で行きあった、
巡礼の子はなぜ来ない。
私(わたし)はわるいことしたの、
あのとき、お金は持ってたの、
あねさま三つも買えるほど。
そのあねさまも買わないで、
思い出しては待ってるに、
秋のひよりの街道(かいど)には、
やんまとんぼのかげばかり。
ちひろのコメント
この「あねさま」は昔の「紙人形」のことだと思います。巡礼の子どもが買って欲しいと思っているその「あねさま」を買わなかったことを、ずっと悔やんでいるんですね。私たちは些細なことかもしれなくて、相手はすっかり忘れているかもしれないことでも、気になってしまう、忘れられない後悔ってありますよね。でもきっと、その思いをまた別のことで返していけたらいいのかな、そう思います。そのチャンスはちゃんと与えられている、そう思います。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
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金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
荒れた海の怖さも伝わる物語。星は助かる方へと導いてくれていたのでしょうか。自然界の大きさを前に、人間は本当にちっぽけに感じますが、そんな小さな存在の私たちでも、自然界は見つめてくれているのか・・・畏敬の念を忘れずにいたいものです。