misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
王子山(おうじやま)
金子みすゞ公園(こうえん)になるので植えられた、
桜(さくら)はみんな枯(か)れたけど、
伐(き)られた雑木(ぞうき)の切株(きりかぶ)にゃ、
みんな芽が出た、芽が伸(の)びた。
木(こ)の間(ま)に光る銀の海、
わたしの町はそのなかに、
龍宮(りゅうぐう)みたいに浮(うか)んでる。
銀の瓦(かわら)と石垣(いしがき)と、
夢(ゆめ)のようにも、霞(かす)んでる。
王子山から町見れば、
わたしは町が好きになる。
干鰮(ほしか)のにおいもここへは来ない、
わかい芽立(めだ)ちの香(か)がするばかり。
山と空
金子みすゞもしもお山が硝子(がらす)だったら、
私(わたし)も東京が見られましょうに。
――お汽車で
行った、
兄さんのように。
もしもお空が硝子(がらす)だったら、
私も神さまが見られましょうに。
――天使(てんし)に
なった
妹(いもと)のように。
ちひろのコメント
遠くに行ってしまった存在を想う心。お山が硝子だったらと、その透きとおる光景がまた切なく映ってきます。天使になった妹。この世に生まれてきても、すぐに空の向こうへ旅立った命。でもその妹は、神さまのすぐ近くにいる。私も神さまを見たいなと思うこの気持ち、金子みすゞさんの優しさが伝わってきます。明日
金子みすゞ街(まち)で逢(あ)った
母さんと子供(こども)
ちらと聞いたは
「明日(あした)」
街(まち)の果(はて)は
夕焼小焼、
春の近さも
知れる日、
なぜか私(わたし)も
うれしくなって
思って来たは
「明日(あした)」
ちひろのコメント
歌にしている金子みすゞさんの詩のひとつです。この詩を読むと、読んでいる自分までなんだか明日が楽しみになってくる、気分がちょっと落ち込んでいても、みすゞさんが「明日はきっといい日だよ」って言ってくれるような、そんな詩に感じます。ちょっとした道で出逢ったその瞬間に、気分が変わる出来事がある。素敵な毎日です。角(かど)の乾物屋(かんぶつや)の ――わがもとの家、まことにかくありき――
金子みすゞ角(かど)の乾物屋(かんぶつや)の
塩俵(しおだわら)、
日ざしがかっきり
もう斜(ななめ)。
二軒目(にけんめ)の空家(あきや)の
空俵、
捨(す)て犬ころころ
もぐれてる。
三軒目の酒屋の
炭俵、
山から来た馬
いま飼葉(かいば)。
四軒目の本屋の
看板(かんばん)の、
かげから私(わたし)は
ながめてた。
ちひろのコメント
金子みすゞさんの実家、現在の金子みすゞ記念館が、この四軒目の本屋です。みすゞ通りとなった、このみすゞさんが詠っている通りに並ぶお店。ぜひ、皆さんもこのみすゞさんのように、記念館に行かれたら、今もかかっている看板越しに、北のほうを眺めてみてください。この詩碑が建っています。お月さん
金子みすゞ夜あけのお月さん
山のきわ。
籠(かご)に飼(か)われた白い鸚鵡(おうむ)、
ねとぼけお眼(めめ)でひょいと見て、
おうやおや、お連(つ)れだ、呼(よ)ぼうかな。
昼間のお月さん
沼(ぬま)の底。
麦藁(むぎわら)帽子(しゃっぽ)の子供(こども)が岸で、
釣竿((つりざお)かまえて睨(にら)めてた。
すてきだ、釣(つ)ろうか、かかるかな。
日ぐれのお月さん
枝(えだ)のなか。
くちばし赤い小鳥が一羽、
お眼くりくりみはってた。
とっても、熟(う)れたぞ、つつこかな。
ちひろのコメント
金子みすゞさんの大好きなお月さまのお話ですが、とってもかわいいリズムがありますね。いろんな詩に表現されているお月さまですが、みすゞさんの心には、とても親近感のある、距離の近いお月さまが描かれているものが多いように思います。それはきっと、お月さまともっと近く心通わせたい、大好きなお月さまと仲良しになりたい、そんな可愛い願いが映し出されているような気もします。
「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ
ちひろのコメント
この詩は金子みすゞさんが故郷・仙崎を想う詩の中でも一番、「ふるさとが大好き」という思いが伝わってくる詩に感じます。この詩も歌にしていますが、コンサートでもとても喜ばれるひとつです。仙崎に行ったら、必ず訪れてほしい場所。王子山に吹く風に、みすゞさんを感じます。