misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

大きな手籠(てかご)
                  金子みすゞ
手籠、手籠、
大きな手籠。
広い野へ出て、この籠に、
いっぱい蓬(よもぎ)を摘(つ)もうとて、
どの子も、どの子も、町の子は。

けれど、どの子も知りゃしない、
野にある蓬はみいんな、
町へと売りに行くために、
田舎(いなか)の人が摘んだのを。

  節句(せっく)は来ても、春浅い、
  よもぎはほんの、芽ばかりで、
  摘めばしおれてしまうのに、
  摘めばしおれてしまうのに。

手籠、手籠、
大きな手籠。
どの子も、どの子も、楽しげに。
2020/03/02の詩

色紙
                  金子みすゞ
きょうはさみしい曇(くも)り空、
あんまり淋(さみ)しいくもり空。

暗いはとばに遊んでる、
白いお鳩(はと)の小さな足に、
赤やみどりの色紙を、
長くつないでやりましょう。

そして一しょに飛ばせたら、
どんなにお空がきれいでしょう。
2020/02/24の詩

大人のおもちゃ
                  金子みすゞ
大人(おとな)は大きな鍬(くわ)もって、
畠(はたけ)へ土をほりにゆく。

大人は大きな舟(ふね)こいで、
沖(おき)へお魚採(と)りにゆく。

そうして大人の大将(たいしょう)は、
ほんとの兵隊もっている。

私(わたし)のちいさな兵隊は、
ものも言わない、動かない。

私のお舟はすぐ覆(かや)る、
私のシャベルはもう折れた。

おもえばさびしい、つまらない、
大人のおもちゃを持ちたいな。
2020/02/17の詩

機織(はたお)り
                  金子みすゞ
朝からきっとん
機を織る、
山のむすめの
おもうこと。

この織る布(ぬの)が
知らぬまに、
都のひとの
着るような、
友禅(ゆうぜん)もように
変わらぬか。

けれどもきっとん
織るたびに、
縞(しま)のもめんが
長くなる。
2020/02/10の詩

海のお宮    ――おはなしのうたの四――
                  金子みすゞ
海のお宮は琅玕(ろうかん)づくり、
月夜のような青(あアお)いお宮、
青いお宮で乙姫(おとひめ)さんは、
きょうも一日(にち)、海みています。
いつか、いつかと、海みています。

いつまで見ても、
浦島(うらしま)さんは、
陸(おか)へかえった
浦島さんは――

海のおくにの静かな昼を、
うごくは紅(あか)い海くさばかり、
うすむらさきのその影(かげ)ばかり。

百年たっても、乙姫さんは
いつか、いつかと、海みています。

2020/02/03の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796

金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

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