misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

金のお好きな王さま
                  金子みすゞ

金(きん)のお好きな王さまの
御殿(ごてん)は金になりました。

王様のお手が触(さわ)るとき、
薔薇(ばら)ものこらず金でした。

王様のお手が抱(だ)くときに、
おひめさまさえ、金でした。

王様のお手のとどくとこ、
世界はみんな金でした。

けれども、けれども、
そのときに、
空はやっぱり青でした。
2019/09/30の詩

忙(いそが)しい空
                  金子みすゞ

今夜はお空がいそがしい、
雲がどんどと駈(か)けてゆく。

半かけお月さんとぶつかって、
それでも知らずに駈けてゆく。

子雲がうろうろ、邪魔(じゃま)っけだ、
あとから大雲、おっかける。

半かけお月さんも雲のなか、
すりぬけ、すりぬけ、駈けてゆk

今夜はお空がいそがしい、
ほんとに、ほんとに、忙しい。
2019/09/23の詩

砂(すな)の王国
                  金子みすゞ

私(わたし)はいま、
砂の王国の王様です。

お山と、谷と、野原と、川を、
おもう通りに変(か)えてゆきます。

お伽(とぎ)ばなしの王様だって、
じぶんの国のお山や川を、
こんなに変えはしないでしょう。

私はいま、
ほんとにえらい王様です。
2019/09/16の詩

梨(なし)の芯(しん)
                  金子みすゞ

梨の芯はすてるもの、だから
芯(しん)まで食べる子、けちんぼよ。

梨の芯はすてるもの、だけど
そこらへほうる子、ずるい子よ。

梨の芯はすてるもの、だから
芥箱(ごみばこ)へ入れる子、お悧巧(りこう)よ。

そこらへすてた梨の芯、
蟻(あり)がやんやら、ひいてゆく。
「ずるい子ちゃん、ありがとよ。」

芥箱へいれた梨の芯、
芥取爺(じい)さん、取りに来て、
だまってごろごろひいてゆく。
2019/09/09の詩

はつ秋
                  金子みすゞ

涼(すず)しい夕風ふいて来た。

田舎(いなか)にいればいまごろは、
海の夕やけ、遠くみて、
黒牛ひいてかえるころ。

水色お空をなきながら、
千羽がらすもかえるころ。

畠(はたけ)の茄子(なす)は刈(か)られたか、
稲(いね)のお花も咲(さ)くころか。

さびしい、さびしい、この町よ、
家と、ほこりと、空ばかり。
2019/09/02の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796

金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

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