misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
犬
金子みすゞうちのだりあの咲(さ)いた日に
酒屋のクロは死にました。
おもてであそぶわたしらを、
いつでも、おこるおばさんが、
おろおろ泣いて居(お)りました。
その日、学校(がっこ)でそのことを
おもしろそうに、話してて、
ふっとさみしくなりました。
輪(わ)まわし
金子みすゞあの町ぬけて
この町ぬけて
輪まわし がァらがら。
一つ人力(じんりき)
二つ荷車
おいこして がァらがら。
三つ目をぬけば
もう町はずれ、
町の外へ がァらがら。
田圃(たんぼ)のみちは
お空へつづく、
空の上まで がァらがら。
日が暮(く)れかかりゃ
夕やけのなかへ
ほうり出して、かァえろ。
海から出た星が、
その輪をかぶって、
天文台(てんもんだい)の博士、
びっくり、しゃっくり、目をまわす。
「大発見じゃ、たいへんじゃ、
土星が二つにふえちゃった。」
ちひろのコメント
とってもコミカルな詩です。天文台の博士のびっくりした様子が目に浮かびますよね。それにしても、金子みすゞさんの面白いところは、賢くてまじめな優等生のイメージなのに、夕焼けの空にほうり出して帰っちゃうってことを詩に書いてしまうことです。これだから、益々みすゞさんを好きになっちゃうんですよね。椅子(いす)の上
金子みすゞ岩の上、
まわりは海よ、
潮(しお)はみちる。
おおい、おおい、
沖(おき)の帆(ほ)かげ。
呼んでも、なお、
とおく、とおく。
日はくれる、
空はたかい、
潮はみちる……。
(もういいよ、ごはんだよ。)
あ、かあさんだ。
椅子(いす)の岩から
いせいよく、
お部屋の海に
とびおりる。
ちひろのコメント
子どもの一人遊びはドラマチックです。夢中になって想像の世界へすぐ行きます。けれど、おなかもちゃんと空いてきて、お母さんが呼んでくれると、もうこの遊びは、はい、おしまい。何の未練もなく、いきなり終わる想像の世界。これだから子どもに付いて行くのは大変です(笑)。子ども心には、大好きがいっぱいですね。杉(すぎ)の木
金子みすゞ「かあさま、私はなにになる。」
「いまに大きくなるんです。」
杉のこどもはおもいます。
(大きくなったら、そうしたら、
峠(とうげ)のみちの百合(ゆり)のよな、
大きな花も咲(さ)かせよし、
ふもとの籔(やぶ)のうぐいすの
やさしい唄(うた)もおぼえよし……。)
「かあさま、大きくなりました、
そして私は何になる。」
杉の親木はもういない、
山が答えていいました。
「かあさんみたいな杉の木に。」
ちひろのコメント
コンサートで時々朗読する大好きな詩の一つです。杉の子どもが周りの華やかな姿に憧れて、夢をいっぱい描きます。その様子をお母さん杉は黙って見守っています。大きくなった時、あの大きなお母さんはもういない代わりに、ずーっと見ている山が言う。「自分の姿を見てごらんと、もうあなたはかあさんみたいに大きな杉の木になっているんだよ、これまでも、これからも。」と。受け継いだ血で立派に成長すること、与えられた命、その姿をしっかり生き抜いていくことが、何より素晴らしい生き方だと、私たちへのメッセージです。この世は、そんな命ばかりです。
お寝着(ねまき)
金子みすゞ八時打ちます、
お時計が、
おねまき着せます、
おかあさま。
白い、白い、おねまきを、
来て寝(ね)りゃ、
白い夢(ゆめ)ばかり。
お花のついた昼のべべ、
着て寝りゃ、
お花になれように。
蝶々(ちょうちょう)のついた外出着(よそゆき)を
着て寝りゃ、
蝶々になれように。
だけども母さま
着(き)せるから、
だまって着ましょう
白ねまき。
ちひろのコメント
子どもの心は本当に夢いっぱいですね。着ている洋服の模様から夢の世界へと広がっていく。果てしない心の旅を楽しむ達人です。「外出着(よそゆき)」という言葉、今でも使うのでしょうか、とても懐かしい響きに感じます。たまにはと、よそゆきで寝ることを許したら、かえってわくわくしすぎて眠れなくなるかもしれませんね。やっぱり、寝るときはねまきが一番でしょう。そう思うのも、大人の心なのでしょうか(笑)「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
いつも強いおばさんの、泣いている姿。金子みすゞさんには、そのおばさんの悲しみ、寂しさが見えていました。でも他の友達は違いました。いつもは怒るおばさんが弱い姿で、その変化だけを見て話しています。それは、いつも怒ってくる嫌なおばさん、という自分中心の見え方です。それがみすゞさんにとって、とてもさみしいことでした。いつも相手の心を自分の心に重ねて感じ取る金子みすゞさん。どんな相手でも、悲しみは悲しみです。偏見ではなく、ちゃんと、それを見つめられる心でありたいですね。