misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
山の子、浜(はま)の子
金子みすゞ町を見て来た山の子よ、
町には何がありました。
日ぐれの辻(つじ)の人ごみに、
踏(ふ)まれもせずにぽっちりと、
森の一軒家(いっけんや)の灯(ひ)のように、
茱萸(ぐみ)がこぼれて居(お)りました。
町を見て来た浜の子よ、
町には何がありました。
電車どおりの水たまり、
底のきれいな青空に、
さみしい昼(ひる)の星のよに、
鱗(うろこ)がうかんで居りました。
こだまでしょうか
金子みすゞ「遊(あす)ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿(ばか)」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰(だれ)でも。
ちひろのコメント
金子みすゞの知っている詩として今や「私と小鳥と鈴と」に並ぶ代表作になったこの詩。私たちの心はこだまする。良い面も悪い面も全て。だからこそ、優しく思いやりのある心をこだまし合いたいですね。「こだまでしょうか、いいえ、誰でも。」それは誰でもない、あなた自身ですよ、あなたの言葉がそのまま相手から返ってくるんですよ。だから言葉を大切にしましょうと言われている気がします。大切なことを伝えてくれるみすゞさんと、こだまし合いたいですね。忘(わす)れもの
金子みすゞ田舎(いなか)の駅(えき)の待合室(まちあい)に、
しずかに夜は更(ふ)けました。
いつのお汽車を待つのやら。
ふるい人形は、ただひとり。
しまいの汽車におどろいた、
虫もひそひそ鳴くころに、
箒(ほうき)をもったおじいさん、
じっとみつめておりました。
ふるい人形のかあさんは、
いく山さきを行くのやら。
とおく、こだまがひびきます。
田舎の駅(えき)は夜ふけて、
しずかに虫が、ないてます。
ちひろのコメント
田舎の駅の物語。最終の汽車や、駅の周りの草むらに潜む虫や箒をもったおじいさん、この「忘れもの」という一つの物語の主人公・人形を演出する大切なキャストですね。なんだか一つのお芝居の1シーンを見ているような、ここから物語がまた始まるような、そんな素敵なお話です。はつ秋
金子みすゞ白いいかめしい日曜の銀行に、
ころ、ころ、ころ、とこおろぎが鳴き、
白いようにうすい朝の空を、
すらすらと蜻蛉(とんぼう)が飛ぶ。
(秋は今朝(けさ)、
港に着いた。)
白い巨(おお)きな日曜の銀行に、
陽(ひ)はかっきりと影(かげ)をつくり、
白い糸のついた蝉(せみ)は電線(でんせん)にからまって、
うすい翅(はね)をふるわせている。
ちひろのコメント
ふと気づく季節の移り変わり。私たちは何を感じて「あ、秋が来た」と思うでしょうか。みすゞさんのこの描写はまたはっきりしていて、秋の空のように澄み切った表現に感じますね。現実をそのままに奥深く見つめている、みすゞさんらしさを想います。お日さん、雨さん
金子みすゞほこりのついた
芝草(しばくさ)を
雨さん洗って
くれました。
洗ってぬれた
芝草を
お日さんほして
くれました。
こうして私が
ねころんで
空をみるのに
よいように。
ちひろのコメント
雨が降ること、日が照ること、そして芝草が生えていること、その全てのおかげで自分のほのぼのした何でもない日常がある。気に留めない、様々な自然のはたらきが、どんなに日々に彩りを与えてくれているでしょうか。おかげさまの毎日です「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
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金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ
ちひろのコメント
同じ景色を見ていても、人によって見つめているものは違います。自分の日頃の生活スタイル、関心ごと、自分の心のフィルターで、如何様にも映る景色、印象。「そんなものはなかったよ」と言われることもあるかもしれません。自分の生活の中で、何を見つめ、どう感じて生きるかが、とても大切だなと思うのと同時に、他の人が自分には気づかない目線で何かを見つめていることに気づき、受け入れることもまた、とても大切なことだと思います。