misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
かたばみ
金子みすゞ駈(か)けてあがった
お寺の石段(いしだん)。
おまいりすませて
降(お)りかけて、
なぜだか、ふっと、
おもい出す。
石のすきまの
かたばみの
赤いちいさい
葉のことを。
――とおい昔に
みたように。
向日葵(ひまわり)
金子みすゞおてんとさまの車の輪、
黄金(きん)のきれいな車の輪。
青い空をゆくときは、
黄金(きん)のひびきをたてました。
白い雲をゆくときに、
見たは小さな黒い星。
天でも地でも誰知らぬ、
黒い星を轢(ひ)くまいと、
急に曲がった車の輪。
おてんとさまはほり出され、
真赤になってお腹立ち、
黄金(きん)のきれいな車の輪、
はるか下界へすてられた、
むかし、むかしにすてられた。
いまも、黄金(こがね)の車の輪、
お日を慕うてまわります。
ちひろのコメント
金子みすゞさんは、小さい頃からいろんな物語を考えるのが得意だったこと、作品を通してよくわかりますね。一つ一つのお花に、こんなストーリーがあったら、世の中のいろんな一つ一つ、ドラマチックな展開ばかり。人間が知らないだけで、実は沢山の物語が、周りにはいっぱいあるのでしょうね。波
金子みすゞ波は子供(こども)、
手つないで、笑って、
そろって来るよ。
波は消しゴム、
砂(すな)の上の文字を、
みんな消してゆくよ。
波は兵士、
沖(おき)から寄(よ)せて、一ぺんに、
どどんと鉄砲(てっぽう)うつよ。
波は忘(わす)れんぼ、
きれいなきれいな貝がらを、
砂の上においてくよ。
ちひろのコメント
最後がとても綺麗な余韻が残りますね。波の勇ましさまでやってきたところで、最後に忘れんぼという、可愛い姿を残していく。私たちも年々、忘れることが多くなりますが、そんな自分も、相手も、優しく受け止められる心でありたいものです。曲馬の小屋
金子みすゞ楽隊の音にうかうかと、
小屋のまえまで来は来たが、
灯(あかり)がちらちら、御飯(ごはん)どき、
母さんお家で待(ま)っていよう。
テントの隙(すき)にちらと見た、
弟に似(に)たよな曲馬の子、
なぜか恋(こい)しい、なつかしい。
町の子供(こども)はいそいそと、
母さんに連れられて、はいってく。
柵(さく)にすがってしみじみと、
母さんおもえど、かえられぬ。
ちひろのコメント
金子みすゞさんの実の弟は2歳の時に養子に出され、従姉弟として育ちます。なので、この詩を読むと弟を想うみすゞさん、テルちゃんの姿が浮かんできますね。コンサートでも、お客様がどんな人生を歩まれているかは見えてはきません。でも、一つの歌に何を思うかで、そこに歩んできた人生が浮かび上がってきます。一つの出来事に何を感じるか。その心を、大切に受け止めたいと、いつも思います。みえない星
金子みすゞ空のおくには何がある。
空のおくには星がある。
星のおくには何がある。
星のおくにも星がある。
眼(め)には見えない星がある。
みえない星はなんの星。
お供(とも)の多い王様の、
ひとりの好きなたましいと、
みんなに見られた踊(おど)り子の、
かくれていたいたましいと。
ちひろのコメント
あの夜空には見えない星も無数にある。‘星のおくにも星がある’という言葉にハっとします。そして、表に出る時の強く、明るく振舞う姿も、普段は静かに隠れていたいと思っている一面を大切に見つめています。人には表の姿と裏の姿、ありますね。外に出る時と家庭で休む時と。その両方に優しく佇む金子みすゞさんの姿も重なってきます。この眼差し、学びます。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
金子みすゞさんの故郷、山口県長門市にはお寺も沢山在ります。その環境で育まれたみすゞさん。道端に、どこにでも生息しているかたばみ。特別にそれを見つめることもなかなかないかもしれません。けれど、ふと、いつも在るその「かたばみ」をみて、みすゞさんは思います。小さい頃に見たかたばみ、今見つめるかたばみ、その時空を感じているんですね。忙しい世の中に、とおい昔を思い出すこと、未来を向く心と、過去を思い出す心。その両方がある心のバランス、大切だと感じます。