misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
唖蝉(おうしぜみ)
金子みすゞおしゃべり蝉は歌うたう、
朝から晩(ばん)まで歌うたう、
誰(だれ)が見てても歌うたう、
いつもおんなじ歌うたう。
唖(おうし)の蝉は歌を書く、
だまって葉っぱに歌を書く、
誰も見ぬとき歌を書く、
誰もうたわぬ歌を書く。
(秋が来たなら地に落ちて、
朽(く)ちる葉っぱと知らぬやら。)
ひよどり越(ごえ)
金子みすゞひよどり越(ごえ)の
さかおとし、
蟻(あり)の大軍
征(せ)めくだる。
めざす平家は
梨(なし)の芯(しん)、
わたしの捨(す)てた
梨の芯。
峠(とうげ)の茶屋の
ひるさがり、
ふるは松葉と
蝉(せみ)しぐれ。
蟻の大軍
いさましく、
梨のお城を
とりまいた。
ちひろのコメント
あの源義経を一躍有名にした「ひよどり越えの逆落とし」。断崖絶壁から騎乗したまま坂を駆け下りた奇襲攻撃。蟻にとっての奇襲攻撃。金子みすゞさんの目線は、マクロの世界もミクロの世界も自由に旅します。この世の中は本当にドラマチックですね。おさかな
金子みすゞ海の魚(さかな)はかわいそう。
お米は人につくられる、
牛は牧場で飼(か)われてる、
鯉(こい)もお池で麩(ふ)を貰う。
けれども海のおさかなは、
なんにも世話にならないし、
いたずら一つしないのに、
こうして私(わたし)に食(た)べられる。
ほんとに魚はかわいそう。
ちひろのコメント
金子みすゞさんが童謡詩人としてデビューした最初の詩のひとつです。魚をいただく時に、ご飯を食べる時に、「かわいそう」という思いにはなかなかならないものですが、私は、「カワハギ」だけは昔からちょっとかわいそうに思っていました。名前からしてかわいそうで、今でもまだ、スーパーで買うことが出来ません(笑)。みなさんは、「かわいそう」と思いながらもいただくこと、何かありますか?昼の花火
金子みすゞ線香(せんこう)花火を
買った日に、
夜があんまり
待ちどおで、
納屋(なや)にかくれて
たきました。
すすき、から松、
ちゃかちゃかと、
花火はもえて
いったけど、
私(わたし)はさみしく
なりました。
ちひろのコメント
楽しみを我慢できずに、一人で隠れてやってみても、後に残るのは後悔とさみしさです。やっぱり、ちゃんと待って、みんなで一緒に楽しんでこその喜びがあるんですね。楽しいこと、嬉しいこと、その喜びはやっぱり一人よりも、二人、二人よりも・・・みんなと一緒だと喜びも大きくなるんですね。小さなお墓(はか)
金子みすゞ小さなお墓、
まあるいお墓、
おじいさまのお墓。
百日紅(さるすべり)の花が、
かんざしになってた。
去年(きょねん)のことよ。
きょう来て見れば、
新しいお墓、
しろじろと立ってる。
せんのお墓、
どこへ行(い)った、
石屋にやった。
今年も花は、
百日紅(さるすべり)の花は、
墓の上に散ってる。
ちひろのコメント
ご先祖様のお墓の小さなお墓。長年の雨風でまあるくなっている小さなお墓は、なんだかとても可愛くて、そしてその可愛さの遠い遠い向こうに感じる年月。それを消し去ってしまったかのようにある新しいお墓。いつもと変わらない鮮やかな色で咲いている百日紅の姿が、なんとも現実を伝えてくれています。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
蝉はオスだけ鳴くそうで、鳴かないメスの蝉のことを「唖蝉」と呼ぶのだそう。求愛のために鳴くオスと、鳴かないメス。でもみすゞさんはそんなメスにも、いろんな思いがあって、それを誰も見ていない時に書いていると、この詩で伝えてきます。それはもしかしたら、みすゞさんなのでしょうか。自分と重ねて見つめているのかもしれませんね。ちょっと切ない物語。