misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
大晦日(おおみそか)と元日(がんじつ)
金子みすゞ兄さま掛取(かけと)り、
母さまはお飾(かざ)り、
わたしはお歳暮(せいぼ)。
町じゅうに人が急いで、
町じゅうにお日があたって、
町じゅうになにか光って。
うす水いろの空の上、
鳶(とんび)は静かに輪を描(か)いてた。
兄さまは紋附(もんつ)き、
母さまもよそゆき、
わたしはたもとの。
町じゅうに人があそんで、
町じゅうに松が立ってて、
町じゅうに霰(あられ)が散ってて。
うす墨(ずみ)いろの空の上、
鳶は大きく輪を描いてた。
繭(まゆ)とお墓
金子みすゞ蚕(かいこ)は繭(まゆ)に
はいります、
きゅうくつそうな
あの繭に。
けれど、蚕は
うれしかろ、
蝶々(ちょうちょ)になって
飛べるのよ。
人はお墓へ
はいります、
暗いさみしい
あの墓へ。
そして、いい子は
翅(はね)が生え、
天使になって
飛べるのよ。
ちひろのコメント
お墓へ入るというイメージ。とてもさみしいイメージがあるかもしれません。でも、その先はお空の向こうへ跳んでいける、そんな明るい気持ちを、またその先があるという光が差し込むこの詩。こうした穏やかな気持ちでいられると、いろんなことにも光が差し込みますね。心の持ちようで、大きく変わりますね。林檎畑
金子みすゞ七つの星のそのしたの、
誰も知らない雪国に、
林檎ばたけがありました。
垣もむすばず、人もいず、
なかの古樹の大枝に、
鐘がかかっているばかり。
ひとつ林檎をもいだ子は、
ひとつお鐘をならします。
ひとつお鐘がひびくとき、
ひとつお花がひらきます。
七つの星のしたを行く、
馬橇の上の旅びとは、
とおりお鐘をききました。
とおいその音をきくときに、
凍ったこころはとけました、
みんな泪になりました。
ちひろのコメント
きれいな描写ですね。忘れ去られているような林檎の樹になった林檎を、もいだことがわかる鐘の音が遠くに響きます。この旅人はその雪国がふるさとなのでしょうか。凍ったこころがとけるほど、温かな気持ちになる鐘の音。いろんな思いが重なりますね。誰にも知られない心のうちを、そっと見つめられる心でありたいな、そうも思いました。
お使い
金子みすゞお月さま、
私(わたし)は使いにまいります。
よその嬢(じょっ)ちゃんのいいおべべ、
しっかり胸(むね)に抱(だ)きしめて。
お月さま、
あなたも行ってくださるの、
私の駈(か)けてゆくとこへ。
お月さま、
いたずらっ子に逢(あ)わなけりゃ、
いつも私はうれしいの。
おかあさんのおしごとを、
よそへ届(とど)けにゆくことは。
それに、それに、
お月さま、
私はほんとうにうれしいの。
あなたがまあるくなるころに、
私も春着ができるから。
ちひろのコメント
お月さま、と話しかけるかわいい姿。付いてきてくれるお月さまに思いを馳せる、大人になっても大きな存在のお月さま。そしてお月さまにだけ、本当の気持ちを語っている、そんな姿もかわいらしい。わくわくする春への想い、お月さまはきっと優しく見守ってくれていますね。くれがた
金子みすゞ暗いお山に紅(あか)い窓(まど)、
窓のなかにはなにがある。
空(から)っぽになったゆりかごと、
涙(なみだ)をためた母さまと。
明るい空に金の月、
月の上にはなにがある。
あれはこがねのゆりかごよ、
その赤ちゃんがねんねしてる。
ちひろのコメント
とても切ない中にも心救われる物語。私たちの日常には、見えないところでいろんなお別れもあります。その心にもそっと寄り添ってくれる金子みすゞさんの詩のまなざしは、コンサートでも、そのやさしさに救われたと言われるお客様に出会います。詩の世界で、いろんな心情に心傾けるひととき。これもまた、大切な出会いですね。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
みすゞさんのお兄さんは金子文栄堂のお仕事に忙しい様子(掛取りとはつけ払いをしている代金などを集金に回ることです)、町中の大晦日の忙しさの光景がよく伝わってきますね。「うす水いろ」と「うす墨いろ」。「みず」と「ずみ」のクルっと反対になったこの表現。空の色に、大晦日と元日でクルっと来年になる、そんな移り変わりも感じます。みすゞさんのさりげないセンスが光ります。さぁ、鳶が描く大きな輪のように、広い気持ちで新年を迎えましょう。今年もありがとうございました。