misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
機織(はたお)り
金子みすゞ朝からきっとん
機を織る、
山のむすめの
おもうこと。
この織る布(ぬの)が
知らぬまに、
都のひとの
着るような、
友禅(ゆうぜん)もように
変わらぬか。
けれどもきっとん
織るたびに、
縞(しま)のもめんが
長くなる。
灰(はい)
金子みすゞ花咲爺(はなさかじい)さん、灰おくれ、
笊(ざる)にのこった灰おくれ、
私(わたし)はいいことするんだよ。
さくら、もくれん、梨(なし)、すもも、
そんなものへは撒(ま)きゃしない、
どうせ春には咲くんだよ。
一度もあかい花咲かぬ、
つまらなそうな、森の木に、
灰のありたけ撒くんだよ。
もしもみごとに咲いたなら、
どんなにその木はうれしかろ、
どんなに私もうれしかろ。
ちひろのコメント
おとぎ話の続きを描いたり、その物語の主人公を詩に描いたりがとても好きなみすゞさん。このお話も、花咲爺さんが登場します。綺麗なお花が咲かない木に、灰を撒いて、見事にお花が咲いたらと想像する中で、木の喜びが自分自身も嬉しくなる喜びに繋がる。これは寄り添うという意識はきっとない、無意識に「うれしくなる」のだと思います。心根の優しさ溢れる1編です。葉っぱの赤ちゃん
金子みすゞ「ねんねなさい」は
月の夜。
そっと光を着せかけて、
だまってうたうねんね唄(うた)。
「起(お)っきなさい」は
風の役。
東の空のしらむころ、
ゆすっておめめさまさせる。
昼のお守りは
小鳥たち。
みんなで唄をうたったり、
枝(えだ)にかくれて、また出たり。
ちいさな
葉っぱの赤ちゃんは、
おっぱいのんでねんねして、
ねんねした間にふとります。
ちひろのコメント
小さな葉っぱの赤ちゃんが、自然界のいろんな仲間に育まれている様子。いいですね、それぞれの得意なことを役割として、葉っぱの赤ちゃんをみんなで育んでいる。人間も一緒ですね。それぞれの出来ることを出し合って、家庭を守ったり、社会の役割をお仕事として担ったり。みんなちがって、みんないい。ですね。お使い
金子みすゞお月さま、
私(わたし)は使いにまいります。
よその嬢(じょっ)ちゃんのいいおべべ、
しっかり胸(むね)に抱(だ)きしめて。
お月さま、
あなたも行ってくださるの、
私の駈(か)けてゆくとこへ。
お月さま、
いたずらっ子に逢(あ)わなけりゃ、
いつも私はうれしいの。
おかあさんのおしごとを、
よそへ届(とど)けにゆくことは。
それに、それに、
お月さま、
私はほんとにうれしいの。
あなたがまあるくなるころに、
わたしも春着ができるから。
ちひろのコメント
ずっとついて来てくれるお月さまに、自分の嬉しい気持ちを話しているかわいい様子。あなたがまあるくなるころに、という表現もとても素敵ですね。あと何日なのか、こちらの想像に任せるあたり、そのぼんやりした数日が、いいなあと思います。大人になってもお月さまは、いつも、見ていてくれるような、気持ちを受け止めてくれるような、そんな存在に感じます。こだまでしょうか
金子みすゞ「遊(あす)ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿(ばか)」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰(だれ)でも。
ちひろのコメント
金子みすゞさんの詩をお届けするコンサートで、会場の皆さんとみすゞさんの心がこだまし合う空間は、本当に幸せを感じます。こだまでしょうか、いいえ、誰でも。この言葉には、自分自身の心が返ってくる、自分を見つめなおす眼差しが重なります。あなたの思いやり、優しさ、温もり、そんな心が今年もいっぱいこだまし合うと嬉しいですね。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
別の詩に「春のお機」という詩もあって、みすゞさんは機を織る姿に親しみを、楽しさを感じているようにも思います。縞模様の地味なものしか織れない中で、美しい色鮮やかな友禅を想像して、その想像の世界を素朴に楽しんでいる様子が可愛らしいです。でもそこに、ちゃんと現実をシビアに見つめている締めくくりがまた、みすゞさんらしさです。