misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
さくらの木
金子みすゞもしも、母さんが叱(しか)らなきゃ、
咲(さ)いたさくらのあの枝(えだ)へ、
ちょいとのぼってみたいのよ。
一番目の枝までのぼったら、
町がかすみのなかにみえ、
お伽(とぎ)のくにのようでしょう。
三番目の枝に腰(こし)かけて、
お花のなかにつつまれりゃ、
私(わたし)がお花の姫(ひめ)さまで、
ふしぎな灰(はい)でもふりまいて、
咲かせたような、気がしましょう。
もしも誰(だれ)かがみつけなきゃ、
ちょいとのぼってみたいのよ。
暦(こよみ)と時計
金子みすゞ暦があるから
暦を忘(わす)れて
暦をながめちゃ、
四月だというよ。
暦がなくても
暦を知ってて
りこうな花は
四月にさくよ。
時計があるから
時間をわすれて
時計をながめちゃ、
四時だというよ。
時計はなくても
時間を知ってて
りこうな鶏(とり)は
四時には啼(な)くよ。
ちひろのコメント
人間は、すぐ物に頼ってしまいますね。暦、カレンダーに頼って、時計に頼って、自分の感覚はどこかに置いている。自然界のみんなのほうが自分の能力を使って、利口に生きているのかもしれません。暦がなくなって、時計がなくなったら、私たちはどんな感覚になるのでしょう。時間に追われず、のんびりな気分になるのか、それとも感覚が研ぎ澄まされて、今よりきびきびと過ごすのか。と想像するだけで、今もパソコンの時間を常にチェックしている自分がいます。土
金子みすゞこっつん、こっつん、
打(ぶ)たれる土は、
よい畑になって、
よい麦生むよ。
朝から晩(ばん)まで、
踏(ふ)まれる土は、
よい路になって、
車をとおすよ。
打(ぶ)たれぬ土は、
踏まれぬ土は、
要らない土か。
いえいえ、それは、
名のない草の、
お宿をするよ。
ちひろのコメント
人が手を加える存在はよく見えるけれど、そうでないものは忘れがちです。でも、金子みすゞの世界に入り込むと、全てが関係していて、みんな大切な存在。でもそれは、金子みすゞの特別な世界ではなくて、今こうして普通に過ごしている自分の世界が、その世界。土のお宿には、今日も沢山のお泊り客がいるんですね。ピンポン
金子みすゞ二階のまどのすり硝子(がらす)、
ピンポンしてる
かげ法(ぼう)師(し)。
港のまちの春のよい、
月はおかさをさしていた。
ほんのりとしゃぼんの香(か)、
かあさまとお湯のかえりで
からころと。
とおりすぎても、しばらくは、
ピンポンしてる
音がする。
ちひろのコメント
大正時代、子どもたちの遊びとしてピンポンが大流行していたそうです。銭湯のかえり道、お母さんとのんびり歩くその道に、ピンポン遊びの余韻。当時の暮らしの音、町の様子、とても伝わってきて、なんだかノスタルジックな気分です。機織(はたお)り
金子みすゞ朝からきっとん
機を織る、
山のむすめの
おもうこと。
この織る布(ぬの)が
知らぬまに、
都のひとの
着るような、
友禅(ゆうぜん)もように
変わらぬか。
けれどもきっとん
織るたびに、
縞(しま)のもめんが
長くなる。
ちひろのコメント
別の詩に「春のお機」という詩もあって、みすゞさんは機を織る姿に親しみを、楽しさを感じているようにも思います。縞模様の地味なものしか織れない中で、美しい色鮮やかな友禅を想像して、その想像の世界を素朴に楽しんでいる様子が可愛らしいです。でもそこに、ちゃんと現実をシビアに見つめている締めくくりがまた、みすゞさんらしさです。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
金子みすゞさんの詩には、「花咲か爺さん」の話に繋がる言葉、よく出てきますね。おとぎ話の世界と現実を重ねて見つめる世界が大好きだったんでしょう。こうした世界を心の中で楽しめること、想像力をフルに働かせる心の柔らかさ、今の時代にとても大切な感性ですね。