misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
冬の星
金子みすゞ霜夜(しもよ)の
まちで
お姉(ねえ)さま、
空をみながら
いいました。
――しずかに
さむく
さよならと。
霜夜の
そらの
お星さま、
いちばん青い
お星さま。
――ちょうど
あなたに
いうように。
星のかず
金子みすゞ十(とお)しきゃない
指で、
お星の
かずを、
かずえて
いるよ、
きのうも
きょうも。
十しきゃない
指で、
お星の
かずを、
かずえて
ゆこう。
いついつ
までも。
ちひろのコメント
寒空は星が綺麗に映りますが、この詩は無数に広がる星空に想いをはせる、とてもキラキラした気持ちになります。子どもの時に描いた夢、将来への果てしない想いが、このお星さまを数える気持ちに重なります。みすゞさんの素敵なセンスは、改行にも光ります。最後の、いついつ/までも。の改行で、心が一度区切られる、このリズム。このゆっくりとしたリズムは、私たちの心を優しく無限の空へ連れていってくれます。冬の空に、あなたは何を想いますか。松かさ
金子みすゞ磯(いそ)の小松の
松かさは、
海のあなたの
こいしさに、
落ちて小舟(こぶね)に
のりました。
乗りは乗ったが
その舟は、
沖(おき)で一夜(ひとよ)さ
さかな採(と)り、
もとの浜(はま)へと
つきました。
ちひろのコメント
金子みすゞさんの詩の中には、ちょっと皮肉なストーリーのものも少なくありませんが、これもそのひとつ。松かさ(松ぼっくり)がせっかく海の大海原へ旅に出たかったのに、小舟に落ちて、さぁいよいよと、乗ってワクワクしていたら、なんてことはない、一夜でまた帰って来てしまいました。その時の松かさの気持ち、なんとも言えないですね。人生も、こうした‘がっかり’を繰り返しながら前へ進むんですよね。頑張りましょう(笑)落葉
金子みすゞお背戸(せど)にゃ落葉がいっぱいだ、
たあれも知らないそのうちに、
こっそり掃(は)いておきましょか。
ひとりでしようと思ったら、
ひとりで嬉(うれ)しくなって来た。
さらりと一掃(ひとは)き掃(は)いたとき、
表に楽隊やって来た。
あとで、あとでと駈(か)け出して、
通(とお)りの角(かど)までついてった。
そして、帰ってみた時にゃ、
誰(たれ)か、きれいに掃(は)いていた、
落葉、のこらずすてていた。
ちひろのコメント
せっかくいいことしようと思っていたのに。これに似たような思い、みんなあるかもしれませんね。自分の好奇心や、楽しみ、ついつい心移りしてしまいますが、親切なこと、思いやりの行動は、思ったときにするべきなんでしょうね。こうしたタイミングって、不思議と、待ってはくれないんですね。しあわせ
金子みすゞ桃(もも)いろお衣(べべ)のしあわせが、
ひとりしくしく泣いていた。
夜更(よふ)けて雨戸をたたいても、
誰(だれ)も知らない、さびしさに、
のぞけば、暗い灯(ひ)のかげに、
やつれた母さん、病気の子。
かなしく次のかどに立ち、
またそのさきの戸をたたき、
町中まわってみたけれど、
誰もいれてはくれないと、
月の夜ふけの裏町(うらまち)で、
ひとりしくしく泣いていた。
ちひろのコメント
みんなにしあわせを運んでくれる、『しあわせ』さん。自分がその家に入れたら、そのお家は幸せになるだろうに。町中を幸せに出来るのに。このなんとも言えない悔しさと切なさ。私たち一人ひとりにも、わかってもらえない、とか、気づいてほしい、とか、そんな心の中の声って、ありますよね。この世の中には、こんな『しあわせ』さんのように、いろんな見えないものが存在している。それはいろんな人の心の中にも。だから、いろんなことに気づける一人でありたいな、そう思います。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
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金子みすゞプロフィール

『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ



ちひろのコメント
お姉さまは誰かと、何かとお別れしたのでしょうか。子ども心にも何かを感じるお姉さまの気持ち。‘わたし’も同じように星空を見つめると、ひと際光る青い星が、思いを全て聞いてくれているかのように光っています。空は、いろんな思いを全て受け止めてくれる、綺麗なきれいな空と星です。