misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
とんび
金子みすゞとんびとろとろ
輪を描(か)いた。
あの輪のまん中
さがしたか。
海なら鰮(いわし)が十万よ、
陸(おか)ならねずみが一ぴきよ。
とんびとろとろ
輪を描いた。
その輪のまん中、
みあげたら、
ぽっかり、まひるの
お月さま。
目のないお馬
金子みすゞぶりきのお馬(んま)は
目なし馬。
ぶりきの騎兵(きへい)は急ごにも、
お馬(んま)目なしで路みえぬ。
ぶりきの騎兵にたたかれて、
めくらのめっぽに駈(か)け出して、
蕎麦(そば)の林を駈(か)けぬけて、
紅(あか)い犬(いぬ)蓼(たで)とびこえて、
一本榎(えのき)にぶつかって、
ぶりきのお馬(んま)は泣き出した、
ぶりきの騎兵も泣き出した。
箱のお家
金子みすゞ箱のお家が出来ました。
もう、石鹸(せっけん)の箱でもないし、
お菓子(かし)箱でもありません。
それは私(わたし)のお家(うち)です。
表に白い石の門、
裏(うら)にはきれいな花(はな)畠(ばたけ)、
お部屋はみんなで十一間(ま)
とてもきれいなお家です。
そして私はそこに住む、
小(ち)さいかわいいお嬢(じょう)さま。
きれいなお家がこわされて
かさねた箱になったとき、
私は、古びた、かたむいた、
お部屋の柱を拭(ふ)いてます。
秋のおたより
金子みすゞ山から町へのお便りは、
「柿(かき)の実、栗(くり)の実、熟(う)れ候、
ひよどり、鶫(つぐみ)、啼(な)き候、
お山はまつりになり候。」
町から山へのおたよりは、
「燕(つばめ)がみんな、去(い)に候、
柳(やなぎ)の葉っぱ散り候、
さむく、さみしく、なり候。」
洋灯(らんぷ)
金子みすゞ田舎(いなか)のまつりに
来てみたが、
みじかい秋の
日が暮(く)れて、
神輿(みこし)の声の
遠いころ、
洋灯(らんぷ)のくらさ
たよりなさ……。
みつめていれば
どこやらで、
ひそひそ虫が
ないている。
「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ