misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
のぞきかららくり
金子みすゞのぞきからくり
のぞく子は、
みんなちいさい子供(こども)たち。
去年まで
母さまと、
おまいりするたび、この前を、
よこ目で見い見い
通ってた、
指くわえて
通ってた。
きょうは
ひとりで来ているし、
光る銀貨(ぎんか)もあるけれど。
のぞきからくり
替わる子は、
またもちいさい子等(こら)ばかり。
波の子守唄(こもりうた)
金子みすゞねんねよ、ねんね、ざんぶりこ、
ざんぶり、ざぶりこ、ねんねしな。
海の底では貝の子が、
藻(も)のゆりかごでねんねした。
ねんねよ、ねんね、ざんぶりこ、
お十五夜(じゅうごや)さま、もう高い。
海の渚(なぎさ)じゃ蟹(かに)の子が、
砂(すな)のお床(とこ)でねんねした。
ざんぶり、ざぶりこ、ねんねしな、
あけの明星(みょうじょ)の白(しら)むまで。
かるた
金子みすゞお炬燵(こた)の上に、
お蜜柑(みかん)積んで、
お祖母様(ばあさま)、眼鏡(めがね)、
キラ、キラ、キラリよ。
畳(たたみ)のうえにゃ、
かるたが散って、
ちいちゃいお頭(つむ)、
ひい、ふう、みいつよ。
硝子(がらす)のそとは、
しずかな暗夜(やみよ)、
ときどき霰(あられ)が、
パラ、パラ、パラリよ。
空っぽ
金子みすゞあかい手箱にいっぱいの、
きれいなきれを着(き)せてみる、
私(わたし)の人形は、空っぽよ。
からっぽだから、いつまでも、
顔もよごれず、手ももげず、
世界で一ばんきれいなの。
からっぽだからその上に、
はなしも出来りゃ、ききもして、
世界で一ばんりこうなの。
紅(あか)い鹿(か)の子や、友禅(ゆうぜん)や、
飽(あ)かずに、飽かずに、着せかえる、
私の人形は、からっぽよ。
お祖母(ばあさま)様と浄瑠璃(じょうるり)
金子みすゞ縫(ぬ)いものしながらお祖母(ばあ)さまは、
いつもおはなし、きかせました。
おつる、千松、中将姫(ちゅうじょうひめ)……、
みんなかなしい話ばかり。
お話しながらお祖母(ばあ)さまは、
ときどき浄瑠璃(じょうるり)をきかせました。
おもい出しても胸(むね)がいたむ、
それはかなしい調子(ちょうし)でした。
中将姫をおもうせいか、
そのことはみんなみんな、
雪の夜のようにおもわれます。
それももう遠いむかし、
うたの言葉はわすれました。
ただ、せつない、ひびきばかり、
ああ、いまも、水のように、
かなしくしずかに沁(し)みてきます。
さらさらと、さらさらと、
ふる雪の音(おと)さえも……。
「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ