misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

私(わたし)のお里
                  金子みすゞ
母さまお里は
山こえて、
桃(もも)の花さく
桃の村。

ねえやのお里は
海越(こ)えて、
かもめの群(む)れる
はなれ島。

私のお里は
知らないの、
どこかにあるよな
気がするの。
ちひろのコメント
小さい頃というのは、自分はもしかしてどこか違うところに生まれた子じゃないかしら、と、それは決して現実逃避ではなく、夢をみつめる心の旅をするものです。私のお里がもしかしたらとっても素敵な素敵な場所かもしれないと想像する心の旅。「かわいい子には旅をさせよ」かわいい子の旅は心の中でも遠くの遠くへ旅しています。
2022/03/21の詩

草山
                  金子みすゞ
草山の草のなかからきいてると、
いろんなたのしい声がする。

「きょうで七日も雨ふらぬ、
のどがかわいた、水欲(ほ)しい。」
それはお山の黒い土。

「空にきれいな雲がある、
お手々ひろげて摑(つか)もうか。」
それはちいさな蕨(わらび)だろ。

「お日さまお呼(よ)びだ、のぞこうか。」
「わたしも、わたしも、ついて行こ。」
茱萸(ぐみ)の芽、芝(しば)の芽、茅萱(ちがや)の葉、
いろんなはしゃいだ声がする。
ちひろのコメント
春にどんどん姿を現す植物たちの話し声が、もしこんな風に聴こえたら、どんなに楽しいでしょうか。俳句の季語の「山笑う」のように、私たちは自然の姿に自分の心を重ねて味わいますね。春にどんどん芽吹くそのいのちの姿は、私たちにとって、とても嬉しい姿なんだなということが、心の奥から湧いてくる感情で気づかされますね。金子みすゞさんの春の「うれしい」が伝わってくるようです。
2022/03/14の詩

                  金子みすゞ
小鳥は
小枝(こえだ)のてっぺんに、
子供(こども)は
木かげの鞦韆(ぶらんこ)に、
小ちゃな葉っぱは
芽のなかに。

あの木は、
あの木は、
うれしかろ。
ちひろのコメント
この詩を読むと、1964年に出版されたシェル・シルヴァスタインの絵本「おおきな木」を思い出します。金子みすゞさんもこの絵本を知ったら、きっとお気に入りの1冊になると思います。
何百年と生き続ける「木」にとって、私たちはどのように映っているいるのでしょう。やっぱり、多くの命たちが木に寄ってきたり、その中で遊んだりすると、嬉しそうな気がします。自分ではそこからうごくことは出来ない木。私たちの人生をずっとずっと見守り、助けてくれる木。そんな「木」にも嬉しいことが沢山あると、私たちも嬉しいですね。
2022/03/07の詩

叱(しか)られる兄さん
                  金子みすゞ
兄さんが叱られるので、
さっきから私(わたし)はここで、
袖無(そでなし)の紅(あか)い小紐(こひも)を、
結んだり、といたりしてる。

それだのに、裏(うら)の原では、
さっきから城取(しろと)りしてる、
ときどきは鳶(とび)もないてる。
ちひろのコメント
私にも兄が一人いるので、きっと兄さんだけが叱られていたら、同じような心境だろうなと思います。けれど私の小さいころは、私が叱られるほうでしたので(笑)、そんな時兄は、「叱られる妹」をどんな気持ちでいたのだろうかと思うのでした。
鳶の鳴く光景は、仙崎ならではの、のどかな風景の音です。ぜひ、仙崎に行かれたら、ゆっくり耳を澄まして、聴いてみてくださいね。
2022/02/28の詩

月と泥棒(どろぼう)
                  金子みすゞ
十三人の泥棒が、
北の山から降(お)りて来た。
町を荒(あ)らしてやろうとて、
黒い行列つゥくった。

たった一人のお月さま、
東の山からあァがった。
町を飾(かざ)ってやろうとて、
銀のヴェールを投げかけた。

黒い行列ァ銀になる、
銀の行列ァぞろぞろと、
銀のまちなかゆきぬける。

十三人の泥棒は、
お山のみちも忘(わす)れたし、
泥棒(どろぼ)のみちも忘れたし、

南のはてで、気がつけば、
山はしらじら、どこやらで、
コケッコの、バカッコと鶏(とり)がなく。
ちひろのコメント
愉快ですね。お月さまが全てを銀に染めたので、泥棒さえも銀になって、景色と混じって泥棒たちはそのまま町を通り抜ける・・・。泥棒の道も忘れるというのがまたいいですね、金子みすゞさんの正義感が垣間見えます。「バカッコ」という表現もまた、痛快です。
2022/02/21の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
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金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

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