misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
あさがお
金子みすゞ青いあさがおあっち向いて咲いた、
白いあさがおこっち向いて咲いた。
ひとつの蜂が、
ふたつの花に。
ひとつのお日が、
ふたつの花に。
青いあさがおあっち向いてしぼむ、
白いあさがおこっち向いてしぼむ。
それでおしまい、
はい、さようなら。
みんなを好きに
金子みすゞ私(わたし)は好(す)きになりたいな、
何でもかんでもみいんな。
葱(ねぎ)も、トマトも、おさかなも、
残らず好きになりたいな。
うちのおかずは、みいんな、
母さまがおつくりなったもの。
私は好きになりたいな、
誰(だれ)でもかれでもみいんな。
お医者(いしゃ)さんでも、烏(からす)でも、
残(のこ)らず好きになりたいな。
世界のものはみィんな、
神さまがおつくりなったもの。
ちひろのコメント
好き嫌いがあること。それが私たちの普通だと思います。金子みすゞさんが「好きになりたいな」と思っているということは、全てを慈しむ彼女でさえ、好きになれない思いがあったことがわかります。その時に大切なのは、好きになれたらいいのにと、相手やモノに対して心を向けることですね。そして、好きとか嫌いとか、それは自分が言えることではない、ということかもしれません。自分は自分で決められるほどの大きな存在ではない、という気持ちが最後の「神さま」に表れているように思います。海の色
金子みすゞ朝はぎんぎら銀の海、
銀はみんなを黒くする。
ランチの色も、帆(ほ)の色も、
銀の破れめもみな黒い。
昼はゆらゆら青い海、
青はみんなをあるままに。
うかぶ藁(わら)くず、竹のきれ、
バナナの皮も、あるままに。
夜はしずかな黒い海、
黒はみんなをおいかくす。
船はいるやら、いないやら。
赤い灯(ともし)のかげばかり。
ちひろのコメント
金子みすゞさんは、下関に移り住んでからは、よく海を渡って北九州の門司港へお買い物へ行っていたそうです。「バナナの皮」が出てくるので、バナナの叩き売り発祥の地・門司港を思わせます。関門海峡の海は一日で様々な顔を見せる海。いろんなことを海にみつめていたみすゞさんの姿が浮かんできます。りこうな桜(さくら)んぼ
金子みすゞとてもりこうな桜んぼ、
ある日、葉かげで考える。
待てよ、私(わたし)はまだ青い、
行儀(ぎょうぎ)のわるい鳥の子が、
つつきゃ、ぽんぽが痛(いた)くなる、
かくれているのが親切だ。
そこで、かくれた、葉の裏(うら)だ、
鳥も見ないが、お日さまも、
みつけないから、染(そ)め残す。
やがて熟(う)れたが、桜んぼ、
またも葉かげで考える。
待てよ、私を育てたは、
この木で、この木を育てたは、
あの年とったお百姓(ひゃくしょう)だ、
鳥にとられちゃなるまいぞ。
そこで、お百姓、籠(かご)もって、
取りに来たのに、桜んぼ、
かくれてたので採(と)り残す。
やがて子供が二人来た、
そこでまたまた考える。
待てよ、子供は二人いる、
それに私はただ一つ、
けんかさせてはなるまいぞ、
落ちない事が親切だ。
そこで、落ちたは夜(よる)夜中(よなか)、
黒い巨(おお)きな靴(くつ)が来て、
りこうな桜んぼを踏みつけた。
ちひろのコメント
最後のオチはみすゞさんにしてはシビアな結末。こうしたセンスを時々詩に見ると、彼女の世の中を見る冷静な心に出合います。考えて考えて出した結論の先と、パッと判断したその先と、果たしてどちらが良かったのか。そのどちらにも、ただ、結果があるだけ。選んだことに後悔しない、ということが大事だと自分に言い聞かせて、この詩を読み終えるとします。七夕のころ
金子みすゞ風が吹(ふ)き吹き笹薮(ささやぶ)の、
笹のささやきききました。
伸(の)びても、伸びても、まだ遠い、
夜の星ぞら、天の川、
いつになったら、届(とど)こうか。
風が吹き吹き外海の、
波のなげきをききました。
もう七夕もすんだのか、
天の川ともおわかれか。
さっき通って行ったのは、
五色きれいなたんざくの、
さめてさみしい、笹の枝(えだ)。
ちひろのコメント
七夕の夜、人は、笹の枝に沢山の飾りをつけて願いを届けます。そんな特別な七夕の夜を、笹も、波も、特別に思ってくれている詩です。私たちの日々の出来事に、人以外にも関わっている色々なものたちの思いが、そこにあるんですね。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ
ちひろのコメント
二つの朝顔が、お互い咲いているのを知らずしぼんでいく。蜂やお日さまが二つの花両方に心を向けているのに、あさがおは気づきもせずにさようなら。何ともあっさりとした面白い結末です。私たちの人生も、見逃している出会いが沢山あるのかもしれませんね。