misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
海の人形
金子みすゞ大きな真珠(しんじゅ)のお手まりや、
貝のかずかず、枝珊瑚(えださんご)、
人魚のむすめは飽(あ)きました。
陸(おか)の子供(こども)のもつという、
黒(くろ)いおめめの人形が、
ほしい、ほしいと泣きました。
母さん人魚はいとしさに、
人形抱(だ)いた児(こ)の船を、
沈(しず)めてそれを奪(と)りました。
むすめは人形みるたびに、
とおいお国がこいしくて、
とうとう海を捨(す)てました。
海の人形はやわらかな、
藻(も)のゆりかごで、すやすやと、
いまも、お夢(ゆめ)をみています。
陸(おか)の人魚は、ふるさとを、
こいし、こいしと磯(いそ)でなく、
磯のちどりになりました。
朝顔の蔓(つる)
金子みすゞ垣(かき)がひくうて
朝顔は、
どこへすがろと
さがしてる。
西もひがしも
みんなみて、
さがしあぐねて
かんがえる。
それでも
お日さまこいしゅうて、
きょうも一寸(いっすん)
また伸(の)びる。
伸びろ、朝顔、
まっすぐに、
納屋(なや)のひさしが
もう近い。
行商隊(カラバン)
金子みすゞひろいひろい砂漠(さばく)だ。
くろいくろいかげを、
うつして続(つづ)いて行くのは、
行商隊(カラバン)だ、行商隊(カラバン)だ。
――駱駝(らくだ)のむれはみな黒い、
そうして脚(あし)が六つある。
あついあつい砂漠だ。
しんと照るまひるだ。
百里南は大海、
百里北には椰子(やし)の木。
――その椰子(やし)の木に咲(さ)く花は、
はまなでしこの色してる。
山も谷も砂(すな)だ。
はても知れない砂漠だ。
しずかに黒くゆくのは、
行商隊(カラバン)だ、行商隊(カラバン)だ。
――あついまひるの砂浜(すなはま)の
黒い小蟻(こあり)の行列だ。
幻灯(げんとう)
金子みすゞあれはいつかの
夢(ゆめ)かしら。
夜ふけてうつす
幻灯の、
淡(あわ)く、ふしぎな、
なつかしい、
うす青いろの
絵のなかに、
ふとみえて、
ふと消えた、
誰(だれ)かによく似(に)た、
やさしい瞳(め)。
あれは、あの夜の
夢かしら。
不思議な港
金子みすゞふるい港の大時計、
六時をうえにかかってた。
ふたつの針(はり)はやすみなく、
なぜか左へまわってた。
朽ちてこわれたさんばしに、
まっ紅(か)な花がただひとつ、
ひるの光にゆらいでた。
黒い、しずかな水のうえ、
お山のように、だァまって、
むかしの船がかかってた。
そんな港のあるとこは、
どこのお国か、いつごろか。
誰(だれ)にきいても知りゃしない、
それは私(わたし)の夢だもの。
「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
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金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ