misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
海の色
金子みすゞ朝はぎんぎら銀の海、
銀はみんなを黒くする。
ランチの色も、帆(ほ)の色も、
銀の破(や)れめもみな黒い。
昼はゆらゆら青い海、
青はみんなをあるままに。
うかぶ藁(わら)くず、竹のきれ、
バナナの皮も、あるままに。
夜はしずかな黒い海、
黒はみんなをおいかくす。
船はいるやら、いないやら、
赤い灯(ともし)のかげばかり。
二つの小箱
金子みすゞ紅絹(もみ)だの、繻子(しゅす)だの、甲斐絹(かいき)だの、
きれいな小裂(こぎれ)が箱いっぱい。
黒だの、白だの、みどりだの、
なんきん玉が箱一ぱい。
それはみいんな私(わたし)のよ。
いつか、ちいさい兄さんが、
船長さんになったとき、
二つの小箱たのむのよ。
それはみいんな私のよ。
船は波路をなん千里、
小人の島へ交易(こうえき)に。
そしてかえりにゃ甲板(かんぱん)に、
島の宝(たから)が山のよう。
それはみいんな私のよ。
私は明るい縁側(えんがわ)に、
ずらりときれを並(なら)べるの。
それからさらさら音立てて、
なんきん玉をかずえるの。
それはみいんな私のよ。
土と草
金子みすゞ母さん知らぬ
草の子を、
なん千万の
草の子を、
土はひとりで
育てます。
草があおあお
茂(しげ)ったら、
土はかくれて
しまうのに。
鳥の巣
金子みすゞなんで巣をつくる。
藁(わら)で、藁で、つくる。
小鳥、小鳥、
そりゃ、お前にゃ似合わんぞ。
そんならなんでつくる。
お羽のいろ青いとと、
お瞳(めめ)のいろの黒いとと、
お嘴(くち)のいろの赤いとと、
三つ、三いろの絹(きぬ)糸で、
編んで、編んで、つくれ。
楊(やなぎ)とつばめ
金子みすゞ無事でいたかと
川やなぎ、
若(わか)いつばめに
いいました。
ふたり啼(な)いてた
その枝(えだ)よ、
ひとりは旅で
死にました。
若いつばめは
もの言わず、
ついと水(み)の面(も)を
ゆきました。
「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ