misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

かぐやひめ    ――おはなしのうたの二――
                  金子みすゞ
竹のなかから
うまれた姫(ひめ)は、
月の世界へ
かえって行った。

月の世界へ
かえった姫は、
月のよるよる
下見て泣いた。

もとのお家が
こいしゅて泣いた、
ばかな人たち
かわいそで泣いた。

姫はよるよる
変わらず泣いた、
下の世界は
ずんずん変わった。

爺(じい)さん婆(ばあ)さん
なくなってしもうた、
ばかな人たちゃ
忘(わす)れてしもうた。
ちひろのコメント
地球に生きる人たち=私たちを「ばかな人たち」と例えたみすゞさん。大切なこと、心に刻んだはずのことさえすぐに忘れてしまう愚かさを、日本昔話を題材に伝えている。みすゞさんの「大切なことを語り継ぐことを忘れないで」というメッセージが込められている。
2020/06/29の詩

はだし
                  金子みすゞ
土がくろくて、濡(ぬ)れていて、
はだしの足がきれいだな。

名まえも知らぬねえさんが、
鼻緒(はなお)はすげてくれたけど。
ちひろのコメント
たった4行に見事な心の描写。「申し訳ないけど、はだしで歩いていたいな」土の黒さに浮き立つ子どもの白い足。みすゞさんの得意な色のコントラストの表現が子どもの気持ちを描写していますね。
2020/06/22の詩

このみち
                  金子みすゞ
このみちのさきには、
大きな森があろうよ。
ひとりぼっちの榎(えのき)よ、
このみちをゆこうよ。

このみちのさきには、
大きな海があろうよ。
蓮池(はすいけ)のかえろよ、
このみちをゆこうよ。

このみちのさきには、
大きな都があろうよ。
さびしそうな案山子(かかし)よ、
このみちを行こうよ。

このみちのさきには、
なにかなにかあろうよ。
みんなでみんなで行こうよ、
このみちをゆこうよ。
ちひろのコメント
生まれて出会い、歩んで出会い、別れもありながら、また出会い…。人は一人で生きているのではない、そして一人では生きられない。みすゞさんは、みんなが幸せになることを願い、みんなで幸せへの道を歩みたいんだと、ひとりぼっちの存在を決して見逃しはしない。
2020/06/15の詩

蛙(かえろ)
                  金子みすゞ
憎(にく)まれっ子、
憎まれっ子、
いつでも、かつでも、誰(だれ)からも。

雨が降(ふ)らなきゃ、草たちが、
「なんだ、蛙(かえろ)め、なまけて。」と、
それをおいらが知る事か。

雨が降(ふ)り出しゃ子供(こども)らが、
「あいつ、鳴くから降るんだ。」と、
みんなで石をぶっつける。

それがかなしさ、口おしさ、
今度は降れ、降れ、降れ、となく。

なけばからりと晴れあがり、
馬鹿(ばか)にしたよな、虹(にじ)が出る。
ちひろのコメント
何がどうなっても文句を言われ、誰にも分ってもらえない悔しさ。全てが敵に見えてしまう心の状態、今の社会の中で少なくない心境かもしれません。でも、馬鹿にされても、悔しくても、その虹の向こうの不変の青い空は、きっといつも分かってくれていると思います。
2020/06/08の詩

明るい家
                  金子みすゞ
さくら草咲(さ)く丘(おか)のうえ、
それは、明るいお家です。

朝から晩(ばん)までお部屋には、
はいりきれない、日のひかり。

ピンクの壁(かべ)にかかったは、
虹(にじ)と天使の絵がひとつ。

おもちゃ屋ほどの、おもちゃ棚(だな)、
おもちゃの数も知ってます。

いつごろからか、どうしてか、
私(わたし)はみんな知ってます。

それは私の家だから、
それは私の家だから。
ちひろのコメント
子どもの頃はお気に入りの場所は自分の大切な「自分のもの」でした。いつしか大人になると現実のモノの見方で心遊びをしなくなります。想像の世界で自由に広がる心遊び、現代の子どもたちにもこうした時間が沢山ありますように。
2020/06/01の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796

金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

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