misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

男の子なら
       金子みすゞ

もしも私(わたし)が男の子なら、
世界の海をお家にしてる、
あの、海賊(かいぞく)になりたいの。

お船は海の色に塗(ぬ)り、
お空の色の帆(ほ)をかけりゃ、
どこでも、誰(だれ)にもみつからぬ。

ひろい大海乗りまわし、
強いお国のお船を見たら、
私、いばってこういうの。
「さあ、潮(しお)水(みず)をさしあげましょう。」

よわいお国のお船なら、
私、やさしくこういうの。
「みなさん、お国のお噺(はなし)を、
置(お)いて下さい、一つずつ。」

けれども、そんないたずらは、
それこそ暇(ひま)なときのこと、
いちばん大事なお仕事は、
お噺にある宝(たから)をみんな、
「むかし」の国へはこんでしまう、
わるいお船をみつけることよ。

そしてその船みつけたら、
とても上手(じょうず)に戦って、
宝残らず取りかえし、
かくれ外套(マント)や、魔法(まほう)の洋灯(ランプ)、
歌をうたう木、七里(しちり)靴(ぐつ)……。
お船いっぱい積(つ)み込(こ)んで、
青い帆いっぱい風うけて、
青い大きな空の下、
青い静かな海の上、
とおく走って行きたいの。

もしもほんとに男の子なら、
私、ほんとにゆきたいの。
ちひろのコメント
もしも〇〇なら・・・誰もが空想で楽しむ世界です。その中でもみすゞさんは優しさいっぱい、正義感いっぱいです。みんなのために一仕事、そしてそれをやり遂げながら進む時、大海原に大空は、いつも大らかにそこに存在しているのです。
2020/05/25の詩

明るい方へ
        金子みすゞ
明るい方へ
明るい方へ。

一つの葉でも
陽(ひ)の洩(も)るとこへ。

籔(やぶ)かげの草は。

明るいほうへ
明るい方へ。

翅(はね)は焦(こ)げよと
灯のあるとこへ。

夜飛ぶ虫は。

明るい方へ
明るい方へ。

一分(いちぶ)もひろく
日の射すとこへ。

都会(まち)に住む子等は。
ちひろのコメント
葉っぱも虫も、そして人間の子どもたちも、みんなみんな明るいほうへ目を向けて生きている。今、大変な状況を迎えている私たちの生活に大切なのは、この明るいほうへ気持ちを向けることだと思います。いつも金子みすゞさんの詩はその光となって私たちを照らしてくれます。
2020/05/18の詩

浜(はま)の石
        金子みすゞ
浜辺の石は玉のよう、
みんなまるくてすべっこい。

浜辺の石は飛(と)び魚か、
投げればさっと波を切る。

浜辺の石は唄(うた)うたい、
波といちにち唄ってる。

ひとつびとつの浜の石、
みんなかわいい石だけど、

浜辺の石は偉(えら)い石、
皆(みんな)して海をかかえてる。
2020/05/11の詩

空の鯉(こい)
                  金子みすゞ
お池の鯉よ、なぜ跳ねる。

あの青空を泳いでる、
大きな鯉になりたいか。

大きな鯉は、今日ばかり、
明日はおろして、しまわれる。

はかない事をのぞむより、
跳ねて、あがって、ふりかえれ。

おまえの池の水底に、
あれはお空のうろこ雲。

おまえも雲の上をゆく、
空の鯉だよ、知らないか。
ちひろのコメント
ダミー文章です。ちひろコメントが入ります。
ちひろコメントが入ります。ちひろコメントが入ります。ちひろコメントが入ります。ちひろコメントが入ります。ちひろコメントが入ります。ちひろコメントが入ります。ちひろコメントが入ります。ちひろコメントが入ります。ちひろコメントが入ります。
2020/05/04の詩

芝居(しばい)小屋
                    金子みすゞ
蓆(むしろ)でこさえた
芝居小屋、
芝居はきのう
終(お)えました。

のぼりの立ってた
あたりでは、
仔牛(べえこ)が草を
たべている。

蓆(むしろ)でこさえた
芝居小屋、
夕日は海に
しずみます。

蓆(むしろ)の小屋の
屋根のうえ、
かもめが赤く
染(そ)まってる。
2020/04/27の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796

金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

Translate »