misuzu kaneko金子みすゞ

今週の詩

仙人
                  金子みすゞ
花をたべてた仙人は、
天へのぼってゆきました。
  そこでお噺すみました。

私は花をたべました、
緋桃の花は苦かった。
  そこでげんげをたべました。

お花ばかりをたべてたら、
いつかお空へゆけましょう。
  そこでも一つたべました。

けれどそろそろ日がくれて、
お家の灯りがついたから、
  そこで御飯をたべました。
ちひろのコメント
みすゞさんらしい展開の詩です。仙人と同じように花を食べたら私も仙人がのぼっていったお空へゆける。でも現実は、私にはいつもの美味しい御飯が待っていた。やっぱり御飯を食べている私は、このままこの現実の世界で生きているんだな、と、なんだか不思議と安心するような、そんな詩です。特別なことではない普段のあたり前の生活。その中で暮らしている私。愛おしい毎日です。
2021/08/23の詩

仏(ほとけ)さまのお国
                  金子みすゞ
おなじところへゆくのなら、
み仏さまはたれよりか、
わたくしたちがお好きなの。

あんないい子の花たちや、
みんなにいい唄(うた)きかせてて、
鉄砲(てっぽ)で射(う)たれる鳥たちと、
おなじところへゆくのなら。

ちがうところへゆくのなら、
わたくしたちの行くとこは、
一ばんひくいとこなのよ。

一ばんひくいとこだって、
私たちには行けないの。
それは、支那(しな)より遠いから、
それは、星より高いから。
ちひろのコメント
お盆のころは、ご先祖様や「仏さまの国」へ思いを馳せる人も多くなるころですね。この詩を味わうと、いかに私たち人間は他の命より好き勝手に生きていても、救われているかと悟らせてくれます。だから、ちがうところへ行くとしたら、一番低いところだとみすゞさんは綴ります。あの世は遠く、高く、この世にいる自分には手の届かない素晴らしい場所、その中の低い場所さえ、はるか彼方なんだと伝えてきます。
今この生きている場所で、こうして生かされていることを見つめられる、そんな詩です。
2021/08/16の詩

                  金子みすゞ
「夏」は夜更(よふ)かし
朝寝(ね)ぼう。

夜は私(わたし)がねたあとも、
ねないでいるが、朝早く、
私が朝顔起こすときゃ、
まだまだ「夏」は起きて来ぬ。

すずしい、すずしい、
そよ風だ。
ちひろのコメント
夏の涼しい朝の気配って、嬉しくなりますよね。でも最近は朝方でさえ25度を超えていたり、みすゞさんも今の気温を聞いたら驚かれるでしょう。
それでもやっぱり、四季の中の小さな小さな季節感を瞬間に味わう時を、大切にしたいものですね。
2021/08/09の詩

となりの杏(あんず)
                  金子みすゞ
花はのこらず見えました、
雨も、月夜も、ありました。

散ればちらちら垣(かき)越(こ)えて
風呂(ふろ)のなかにも浮きました。

葉かげに小(ち)さい実のころは
みんな忘れて居りました。

熟(う)れてまっかになるころは
いつかくるかと待ちました。

そして私(わたし)のもろうたは
あんず二つでありました。
ちひろのコメント
お隣の庭の杏が楽しみだったんですね。おすそ分けしてもらえる、どのくらいいただけるかなぁと楽しみにその時を待っていたんですね。でも二つだけでした。お隣さんには隠してる、小さな心の声が、最後の2行に重なって聞こえてくるようです。
2021/08/02の詩

弁天島(べんてんじま)
                  金子みすゞ
「あまりかわいい島だから
ここには惜(お)しい島だから、
貰(もら)ってゆくよ、綱(つな)つけて。」

北のお国の船乗(ふなの)りが、
ある日、笑っていいました。

うそだ、うそだと思っても、
夜が暗(くろ)うて、気になって、

朝はお胸(むね)もどきどきと、
駈(か)けて浜辺(はまべ)へゆきました。

弁天島は波のうえ、
金のひかりにつつまれて、
もとの緑でありました。
ちひろのコメント
みすゞさんが詠う「仙崎八景」の詩のひとつ。
現在は周りが埋め立てられ、車で行くことが出来ます。当時と景色が違っていますが、小さな島だった雰囲気はわかります。仙崎の港の東側にあるので、みすゞさんがお家から海へかけて弁天島を見ると、ちょうど朝日は弁天島の向こう側から昇るのでしょう。きらきらと、金のひかりにつつまれている様子が想われます。
2021/07/26の詩

「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より

JULA出版局

金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
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金子みすゞプロフィール

金子みすゞ

 『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。

 そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
 ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。

 それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
 天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。

(金子みすゞ記念館ホームページより)

金子みすゞ記念館

みすゞさんとの出会い

2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。

ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」

みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。

「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。

みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。

こだまし合う、一人として。

ちひろ

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