misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
白い帽子
金子みすゞ白い帽子、
あったかい帽子、
惜しい帽子。
でも、もういいの、
失くしたものは、
失くしたものよ。
けれど、帽子よ、
お願いだから、
溝やなんぞに落ちないで、
どこぞの、高い木の枝に、
ちょいとしなよくかかってね、
私みたいに、不器っちょで、
よう巣をかけぬかわいそな鳥の、
あったかい、いい巣になっておやり。
白い帽子、
毛糸の帽子。
雀(すずめ)のかあさん
金子みすゞ子供(こども)が
子雀
つかまえた。
その子の
かあさん
笑ってた。
雀の
かあさん
それみてた。
お屋根で
鳴かずに
それ見てた。
かぐやひめ ― おはなしのうたの二 ―
金子みすゞ竹のなかから
うまれた姫(ひめ)は、
月の世界へ
かえって行った。
月の世界へ
かえった姫は、
月のよるよる
下見て泣いた。
もとのお家が
こいしゅて泣いた、
ばかな人たち
かわいそで泣いた。
姫はよるよる
変わらず泣いた、
下の世界は
ずんずん変わった。
爺(じい)さん婆(ばあ)さん
なくなってしもうた、
ばかな人たちゃ
忘(わす)れてしもうた。
報恩講(ほうおんこう)
金子みすゞ「お番」の晩(ばん)は雪のころ、
雪はなくても暗(やみ)のころ。
くらい夜みちをお寺へつけば、
とても大きな蝋燭(ろうそく)と、
とても大きなお火鉢(ひばち)で
明るい、明るい、あたたかい。
大人はしっとりお話で、
子供(こども)は騒(さわ)いじゃ叱(しか)られる。
だけど、明るくにぎやかで、
友だちゃみんなよっていて、
なにかしないじゃいられない。
更(ふ)けてお家へかえっても、
なにかうれしい、ねられない。
「お番」の晩は夜なかでも、
からころ足駄(あしだ)の音がする。
海とかもめ
金子みすゞ海は青いとおもってた、
かもめは白いと思ってた。
だのに、今見る、この海も、
かもめの翅(はね)も、ねずみ色。
みな知ってるとおもってた、
だけどもそれはうそでした。
空は青いと知ってます、
雪は白いと知ってます。
みんな見てます、知ってます、
けれどもそれもうそかしら。
「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
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金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ