misuzu kaneko金子みすゞ
今週の詩
水と風と子供
金子みすゞ天と地を
くゥるくゥる
まわるは誰(だれ)じゃ。
それは水。
世界中を
くゥるくゥる
まわるは誰(だれ)じゃ。
それは風。
柿(かき)の木を
くゥるくゥる
まわるは誰(だれ)じゃ。
それはその実(み)の欲(ほ)しい子じゃ。
浮(う)き島
金子みすゞ私は島が欲しいのよ。
波のまにまにゆれ動く、
それはちいさな浮(う)き島よ。
島はいつでも、花ざかり、
小さなお家(うち)も花の屋根。
みどりの海に影(かげ)さして、
ゆらゆらゆれて流れるの。
そして、景色も見飽(みあ)きたら、
海へざんぶりとび込(こ)んで、
私の島をくぐっては、
かくれんぼしてあすばれる、
そんな小島が欲しいのよ。
ちひろのコメント
金子みすゞさんお得意の空想の世界。島をくぐって遊べるほどの小さな浮き島は、なんとなく「星の王子さま」に出てくる小さな星を想像します。みすゞさんの詩には、何か続きがあるようで、何かメッセージがあるようで、その余韻がまた楽しいのです。まるで、また明日会えるお友達との会話みたいに。みすゞさんは、心がはるかに大きな遠い存在のようでいて、ほんとはとっても近くにいるような、不思議な可愛い人ですね。大漁
金子みすゞ朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の
大漁だ。
浜はまつりの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだろう。
ちひろのコメント
私が作曲した詩の中でも、この詩は特に完成した後に数日歌を寝かせて、そのメロディで良いか何日もかけて冷静に判断した詩です。この詩こそ金子みすゞが甦るきっかけとなった詩であり、衝撃を受けた方の多い、存在感の大きな詩だからです。俯瞰したまなざし。この眼差しこそ、自己中心的になりがちな私たちに大切なまなざしです。一つの物事が立場が変われば全く違った見え方になる。そしていただく命に対する心の在り方。贅沢があたり前の現在、この詩は人間の原点に立ち戻る大切な詩です。私(わたし)と王女
金子みすゞとおいお国の王女さま、
私によう似(に)た王女さま、
真紅(まっか)の薔薇(ばら)を折ろうとて、
莿(とげ)にさされて死にました。
父王(ちちおう)さまのおなげきに、
忠義(ちゅうぎ)一途(いちず)の御家来(ごけらい)は、
白いお馬でかぽかぽと、
ある日、お城(しろ)をたちました。
私のことは、知りもせず、
かわい王女に似た子をと、
尋(たず)ねさがして、いつまでも、
白いお馬でかぽかぽと。
山のむこうの、青ぞらを、
きょうもお馬は、かぽかぽと。
ちひろのコメント
小さい頃に親しんだ物語の主人公と自分を重ねて、いろんなことを想います。空のむこうに見つめてる物語。ここにいる私と空。大きな大きな空を行く雲。私には空が見えているけれど、空のむこうからは私は見えていないかな。白い雲が相変わらず、かぽかぽと流れていきます。落葉のカルタ
金子みすゞ山路(やまみち)に散ったカルタは
なんの札(ふだ)。
金と赤との落葉(おちば)の札に、
虫くい流(りゅう)の筆のあと。
山路に散ったカルタは
誰(だれ)が読む。
黒い小鳥が黒い尾(お)はねて、
ちちッ、ちちッ、と啼(な)いている。
山路に散ったカルタは
誰がとる。
むべ山ならぬこの山かぜが、
さっと一度にさらってく。
ちひろのコメント
秋は景色にいろんな想いを重ねる季節のような気がしますが、落葉の景色をこんなに楽しい「カルタ取り」の物語で彩る金子みすゞさんの心がまた楽しい。「虫くい流」という流派があることにもクスっとする。大自然の全てが共に暮らし、謳歌している毎日に、人間も心豊かな仲間でありたい。「金子みすゞ童謡全集」(JULA出版局)より
金子みすゞの詩、写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
転載される場合は、必ず「金子みすゞ著作保存会」の許可を得てください。
連絡先:〒112-0001 東京都文京区白山3-4-15 内田ハウス1F JULA出版局内
TEL:03-3818-0791 FAX:03-3818-0796
金子みすゞプロフィール
『赤い鳥』、『金の船』、『童話』などの童話童謡雑誌が次々と創刊され、隆盛を極めていた大正時代末期。そのなかで彗星のごとく現れ、ひときわ光を放っていたのが童謡詩人・金子みすゞです。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であったといいます。
そんな彼女が童謡を書き始めたのは、20歳の頃からでした。4つの雑誌に投稿した作品が、そのすべてに掲載されるという鮮烈なデビューを飾ったみすゞは、『童話』の選者であった西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、 離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます。こうして彼女の 残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなってしまうのです。
それから50余年。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」全社の教科書に掲載されるようになりました。
天才童謡詩人、金子みすゞ。自然の風景をやさしく見つめ、優しさにつらぬかれた彼女の作品の数々は、21世紀を生きる私たちに大切なメッセージを伝え続けています。
(金子みすゞ記念館ホームページより)
みすゞさんとの出会い
2003年(平成15年)1月21日、私は東京から山口へ帰郷しました。
作曲家活動の中で、自分の音楽の方向性を見失い、もう一度自分を見つめなおそうと思ってのことでした。
偶然にもその年は、みすゞさん生誕100年の年でした。
私が12歳の時に、父が買っていた1冊の詩集「わたしと小鳥とすずと」(金子みすゞ童謡詩集)を初めて手にとり、ページをめくりました。
ズキンズキンと心臓が鳴るのがわかりました。
「これだ…ここに私が歌いたい心がある…」
みすゞさんは、命あるものなきもの、見えるもの見えないもの、
全ての存在へ優しく深い眼差しを向けている…。
その世界の中で私たちは、尊い命を与えられて生きている。
命、絆、ご縁、全てのつながりに感謝をし、今を自分らしく生きて行く。
そのためのメッセージが、やわらかく、眩しく、描かれている。
「この詩に曲をつけて歌いたい」
この出合いの瞬間から、私は再び音楽の道を歩み始めました。
みすゞさんが伝えてくれる大切な心を、
ずっとずっと、歌い語っていきたい。
こだまし合う、一人として。
ちひろ
ちひろのコメント
天と地と、世界中というスペクタクルなお話なのに、最後は急に身近な身近な目の前の子どもの姿。金子みすゞさんの心の中では、きっと宇宙の広い果てしない空間から小さな芥子つぶまで、境目のない、自由に行き来できる心を持っているのだと思います。だから、人の心、自然界の姿、何の境もなく、共に生きている仲間なんですね、きっと。